奇跡なんて信じない

 通りかかった部屋から聞こえた言葉。女の子の声だったから、多分テレビだ。
 その時思ったことは、どういうことだろうという気持ちだった。

 襖を閉めた室内はとても静かで、昼間だというのに薄暗い。アレンジの案でも考えようと思っていたのに、頭の中で先程聞いた言葉がぐるぐると回る。
「……奇跡じゃないなら、何だっていうんだろ…」
 焼けて失われた鋼の身。本当なら多分、刀剣男士になり得たかどうかという存在。刀剣男士としてあれという誰かの祈りが積み重なって「福島光忠」という存在を作り出した。
 そして本丸に呼ばれ、兄弟刀と再会し、もう会うことはないと思った相手に再び会えた。
「これが奇跡じゃないなら、何なんだろ…」
 ごろりと床に転がる。部屋で大の字に寝転がると気持ちがいいと言ったのは誰だったか。
 わからない。福島の身に起きたことは奇跡としか言いようのないものだ。これが奇跡でないのなら、一体何を奇跡と呼ぶのだろう。
「うぉ、光忠、お前いたのか」
 降ってきた声に福島は視線を上げる。
「号ちゃん、畑当番は?」
「雨降ってきたから切り上げだ」
 薄暗くてよくわからないが、確かに日本号は濡れていた。寝転がる福島を気に止めず、とっとと奥に行く。
「奇跡は起きないから奇跡っていうんだって」
「あ?」
 唐突な言葉に日本号が訝しげに視線を向ける。けれど福島は構わず話を続けた。
「奇跡が起きないなら、じゃあ俺にあったことってなんなんだろうって。だって俺がこうしてまた号ちゃんと一緒に過ごせるなんて、奇跡以外の何物でもないじゃんか」
 福島の主張に一通り耳を傾けた日本号は深くため息を吐いた。それから手を止めていた着替えの続きを再開する。
「そんな深く考えることか?」
「……号ちゃんは俺たちがまた会えたの、奇跡だって思わないの?」
「そりゃあお前が来るって聞いた時は奇跡が起きたと思ったよ」
 拗ねたような声音で出てしまった問いにも、日本号は何でもないことのように答える。それきり二人とも黙ったので衣擦れの音と雨音だけが聞こえる。
「だがまぁお前がこの再会を奇跡だと思わなくなるってのはまあまあいい傾向だと思うがね」
「号ちゃんはこれが奇跡じゃないなら何だと思うの?」
「何って、普通の、当たり前のことなんじゃねぇのか?」
「……何それ」
 号ちゃんの薄情もの。胸の中で悪態を吐く。当たり前のことって、普通のことって何だ。こんなに素晴らしくて稀なことを当たり前だなんて、福島には思えなかった。
 福島の考えが伝わったのだろう、ため息をひとつ吐いて日本号は福島の頭の横に胡座をかく。
「いいか光忠。奇跡ってのは大概、祈りが届いた一度きりだ」
「……そうだね」
 だから皆が望むのだし、叶うと素晴らしいのだ。
「逆に当たり前のことなら何度だって起きんだろ?」
「そうだけど…」
「だからな、お前がこの再会を奇跡だって有り難がるんじゃなくて当たり前のことだって思うってことは、だ。この再会をこの一度きりだって思うんじゃなくて、何かがあってもまた会えるって思ってることになるだろ?」
 日本号の言葉に目を見開く。だって、そんなこと考えたこともなかった。この鋼の身は焼けて失われた。兄弟刀のような鮮烈な逸話もなく。この再会はこの一度きりだと信じて疑っていなかった。だからもう離さないだなんて大それた願いを口にできたのだ。
「……屁理屈だ」
「おうよ。だが屁理屈でも何でも、お前がこの戦いの先にまた会いたいと思うなら、何だっていいんだよ」
「……なに、それ…」
 視界の日本号の輪郭が滲み、慌てて目元を隠す。日本号がそっと髪を梳く。
「号ちゃん、俺たち、また、会えるの?」
「一度別れて、また会えたんだ。次別れても会えんだろ」
「号ちゃん…!」
 たまらなくなって、腰元に抱きつく。
「俺、信じるよ。これっきりじゃないって、また号ちゃんと会えるって」
「おう」
「だから号ちゃんもまた会えるって…」
「俺は前から信じてるっつーの」
 溢れる涙を日本号が掬い取っていく。離すまいと名前を呼ぶ涙声を雨音がそっと隠した。

ワードパレットでリクエストいただいたもの。お題は奇跡、祈り、雨音
福ちゃん視点の練習も兼ねて。
福ちゃんの悩みは号ちゃんが呑み込んでいってくれたらいいなって思います。

2023/08/21
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