君を残してしまった
こまっしゃくれたガキ。
それが福島の家で見た光忠の第一印象。
つんと澄ました顔をして大真面目に日本号を挟んでの人間たちのやり取りを見つめている。
まだ付喪神として足りていないのに、一人前の振りをするその様子を日本号は眺めていた。
「だから!正則の酒を勝手に飲むなって言ったでしょう!」
ダンッ、と強く足踏みをする音とともに子どもの声が飛んでる。また来た。うんざりとした思いでそちらを見遣ると、元服手前の少年が憤慨してますと全身で訴えていた。
「うるさい子供だな……少しくらいいいだろうによ。俺は正三位だぞ」
「正三位というならもう少しそれらしい振る舞いをしてください!」
そう言ってずんずんと近づいて来た少年は日本号の手から盃を奪おうとする。それを彼の届かないところに持ち上げて逃す。躍起になって体を伸ばしてくるのをこぼさないよう避けるのが最近のお決まりのやり取りだ。
日本号は人間同士の戦の褒美として福島正則の元に来た。その正則の佩刀である光忠の刀の付喪神がこの少年だ。
備前長船の祖、光忠が一振りでありこの屋敷の主人の佩刀であるという自負がこの号も逸話も足りていない付喪神の支えであることは容易に見て取れる。パタパタと屋敷の中を走り回っては邸内の九十九たちのいざこざに介入し、仲裁し、時には暴れながらも解決していた。邸内の九十九たちは概ねそんな光忠の刀を敬愛している。
光忠の刀はもちろん初めは家宝となった日本号に敬意を払い丁寧に扱ってきた。その態度は邸内に即座に伝播し、九十九の誰もが日本号を遠巻きにするようになった。別に自分は家宝であるし、槍の身でありながら正三位の位持ちなのだから、その扱い自体は構わない。
けれどそれは他の者たちの楽しそうに笑う輪から弾かれているのと同じことだった。それは面白くない。
面白くないので日本号は手始めに自分の品位を落とさない程度に邸内を荒らすことにした。それが正則の酒である。目論見通り光忠の刀は驚愕し、困惑し、憤慨し、今では日本号に食ってかかるようになった。そうなってくると日本号は楽しくて仕方ない。あの澄ました顔をして邸内の九十九たちを取りまとめている光忠の刀が、己の行動ひとつでこうも苛立ちを露わにするのだ。構わない方が難しい。
「あっ!」
考え事をしていたせいか、相手の手がぶつかり日本号の手から酒がこぼれる。こぼれた酒は日本号の手にかかった。光忠の刀の顔が青ざめる。
「申し訳ありません!」
伏して謝る姿に閉口する。もったいなくはあるがそこまでされることではない。構わないと追いやってしまおうかと考えたところでひとつ、悪戯心が浮かんだ。
「……なあお前、詫びようって気持ちがあるならこっちの言い分のひとつふたつ聞けるよな?」
意地悪く笑いながら問えば頭を上げた光忠の刀はきょとんとしていた。
「正則や屋敷の人間が困ることでなければ、正三位殿の大抵の願いはいつでも叶えられると思います」
だってあなたはこの福島家の家宝なのですから。あまりにも疑いなく言われた言葉に今度は日本号が虚を突かれる。が、その言わんとするところを理解し、眉を寄せ口元が下がる。
「だったらまず、その呼び方やめろ」
「呼び方ですか、正三位殿?」
「だからそれをやめろって言ってるんだ」
「……日本号様?」
「様はいらねぇ」
「え……さすがに正三位の位持ちである家宝にそれは無礼では?」
眉を下げる光忠の刀の言い分はもっともだが、日本号も引く気はない。それがわかるのか光忠の刀はため息を吐いた。
「……では、日本号さん」
本音はそれも納得いかないのだが、これ以上は引かないだろう。とりあえずは納得することにする。
「それと、確かに俺は正三位の位持ちの家宝だが、そうやって畏まった態度取るな。もっと気安く付き合おうぜ」
「気安く…」
再び光忠の刀は眉を寄せる。有象無象の九十九たちから気安くされるのは勘弁願いたいが、この光忠の太刀とくらいは気安く付き合いたい。何せ主人の佩刀だ。そう付き合う価値もあるだろう。
「……なら、こちらからもいい、かい?」
「お、何だ?」
難しい顔をしていた光忠の太刀が意を決した顔で申し出てくるのでつい身を乗り出してしまう。
「対等にと言うなら、俺のことは光忠と呼んでほしい」
予想外の要求に間の抜けた声が出てしまう。
「いつもおいとかお前とか言うのを、正三位殿だから許していたんだ。でも俺は光忠だ。まだ号こそ貰えてないが備前長船の祖、光忠が一振りだ。対等にと言うなら、そちらの方も家来や子分のような扱いはやめてもらいたい」
毅然と言い切った光忠の刀に日本号は呆気に取られる。それから腹の底からふつふつと湧いてきたのはどうしようもなく愉快な気分だった。
向かい合って座っていた光忠に手を伸ばし、抱え上げる。わ、と慌てた声をあげるが体格差で押さえ込む。
「ああ、いいぜ光忠。そうだ、お前も一緒に飲むか?」
「結構です!」
誘いをあっさりと蹴って光忠はするりと日本号の腕から逃げる。
「なんだよ、つまらない奴だな」
「正則が使者を迎えるから行かないとならないんですよ!」
お前と違って暇じゃないと暗に言われたようで気に入らないが、確かに主人の佩刀となれば行かねばならないのだろう。そのあたりは日本号にはわからないことだが。
と、数歩歩いたところで光忠が何かに気付いたように足を止める。
「その酒器、ちゃんと片付けてくださいね!」
いいですね日本号さんと、それだけ言い残して今度こそ駆けていく。言いおかれた日本号の方はしばらくその背を見送っていた。
「っく、はははは!なんだあいつ!」
その気配が完全に遠かった時、笑いが止まらなかった。面白い奴を見つけた。武家屋敷らしく味気ない風景ばかりだと退屈していたところに面白い奴がいた。諾々とこちらに従っていながら腹の底ではそんなことを思っでいたのか。
互いにそう簡単には失われない身だ。それなりに長い付き合いになるだろう。楽しくなりそうだ。
「何してんだ?」
「桜が咲いてるんだ。あそこに、一輪だけ」
縁側で空を見上げる光忠に日本号が問う。光忠はこちらを振り返りもせずに答えた。
ふうん。と生返事を返して隣に座り込み、酒を飲む。
「あ、またお酒持ってきて…」
「ここは上等な酒が入ってきていいな」
「正則、お酒好きだもんなぁ」
酒宴の度に騒ぐ姿を思い出しているのか、光忠の顔が綻ぶ。その正則が武功を上げる度に光忠もすくすくと背丈が伸びて、出会った頃は胸くらいだったのが今は日本号の肩あたりまである。背丈に合わせて日本号に対して気後れすることも減り、こちらの望む対等な関係になったように思う。
「日本号さんって、何でそんなにお酒好きなの?別に正則の影響ってわけじゃないだろうに…」
「どういう意味だよ」
「だって日本号さん、尊き方のところとか、右府様や太閤殿下のところにいたから、もっと雅なことことかして過ごすのかな、そしたら俺ちゃんと相手できるかなって思ってたのにさ」
なんか意外だ。呟いてもう一度空を見上げる。
「別に興味がないわけでもないが、ひとりで楽しむものでもないからなぁ……あとやっぱりこの家で俺が愛でるに値するのが、上等な酒かお前くらいのもんでな…」
「そっか」
「そもそも俺らはある程度酒好きなもんだろう。というか光忠、お前は酒飲まないのか?」
「俺?飲むよ」
さらっと返された言葉に思わず目を剥く。そのくらいの衝撃だった。何故ならこの太刀、日本号の前では飲もうとする素振りをこれまで一切見せずにきたのだ。
「……いつ」
「正則が参加する宴の時とかにちょっとだけ頂戴するんだ。美味しいよね。ふわふわして楽しくなっちゃうから、正則が気に入るのもわかるな」
くふくふと楽しそうに言うのがやけに気に障る。自分が出向かない宴では飲むくせに、日本号が誘う酒はいつも断るのだ。気に入らない。
「あの桜が見頃になったら、また花見の宴になるだろうから、その時は日本号さんも来なよ」
にこにこと微笑む顔におうと返しながら、腹の内では絶対に酒を飲ませてやると決めた日本号だった。
「あ、正三位様いた!」
「あ?」
桜の宴。来いと言った当の光忠はあれこれ忙しくしており、結局日本号は隅の方でひとり拝借した酒を飲みながら景色を楽しんでいた。そこに飛び込んで来た何かの九十九連中。彼らは宴を楽しんでいるというよりはどこか慌てていた。
「大変大変!光忠さんが酔っちゃったの!」
途端、それまでの機嫌が急降下する。絶対飲ませてやると思っていたのに、別のところで飲んだのか。
そんな日本号の機嫌などお構いなしに九十九たちは日本号の手を引こうとする。
「んだよ。勝手にやってろよ」
「だめ!光忠さん、酔うとすっごくわがままになるの!」
「わがまま通らないと暴れちゃうの!」
「今は正三位様に会いたいって暴れてるの!」
納得はいかないが、日本号が動かない限り九十九たちは離れないだろう。仕方なく腰を上げると九十九たちの後について歩く。さほど歩かないところで、人間たちとは別の騒がしい声が聞こえてきた。
「号ーちゃーん!号ちゃんはどこだよー」
半泣きで叫ぶのはどう見ても光忠で。長船光忠の矜持だか知らないがいつもの澄ました顔はどうしたと言いたい有様だった。
「おい、光忠…」
「あ、号ちゃん!」
声をかけると半泣きの光忠がひしと抱きついてくる。
「号ちゃんどこ行ってたのさ!俺ずっと探してたんだよ!」
「……悪い、あっちの隅でひとりで飲んでた」
「ひとりで!?そんなひどいよ!俺今日は号ちゃんと一緒に楽しもうと思ってたのにさぁ!」
号ちゃん号ちゃんと泣いているがそれは自分のことを指しているのだろうか。いるのだろう。そしてそれは九十九たちの間ではおそらく周知のことなのだろう。でなくば九十九たちは自分を探しはしない。九十九たちは解決したとばかりに二人を置いてぱらぱらと散っていく。
ため息をひとつ吐いて日本号は光忠を抱え上げる。
明日からしばらく楽しめそうだ。
「……大変失礼をいたしました」
日本号様、と頭を下げる姿は予想通りと言えば予想通りだ。別にいいと打ち切れば光忠は普通に姿勢を正す。
「お前、酒弱かったのか」
「特別弱くはないよ。でも昨日は日本号さんもいるんだって思ったら楽しくなってしまってね」
「ほーう」
「探しても日本号さんは見つからないし、途中でみんなも飲め飲め言うし、参ったよ」
やれやれと頭を振る光忠はあの宴の酔った姿と到底結びつかない。ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「号ちゃん、とはもう呼んでくれないのか?」
日本号の言葉に光忠がびくりと竦みあがる。どうやら覚えているらしい。にまにまと笑う日本号の視線から居心地が悪そうに逃れようとしている。
「……さすがにその呼び方は失礼でしょう」
「俺がいいって言ってもか?」
ぐっと光忠が言葉に詰まる。ここぞとばかりに畳み掛ける。
「確かにはじめは驚きはしたが、俺はな光忠、お前がそう呼んでるって知って嬉しかったんだよ」
そう、嬉しかったのだ。困惑がなかったわけではないが、慣れてしまえば喜びが勝った。
「お前にとって俺がそこまで親しげな呼び方をしてもいい相手になったってことだろ?」
光忠は難しい顔をして黙り込む。否定をしてこないあたり当たっているのだろう。
無言で答えを促すと、はあ、と大きく息を吐く。
「はいはい、わかりました。呼べばいいんでしょう」
やれやれと頭を振りがら、心底仕方がなさそうな素振りで言うのが面白くて日本号は笑いを堪えるのに必死だった。
「笑いすぎだよ、号ちゃん」
不貞腐れた様が見た目相応で、ついに笑いを堪えきれなくなった日本号だった。
「日ノ本一の槍、もらい受ける」
ああ、また持ち主が変わるのか。それにしても今回は随分と変わった理由だ。酔いも一息に覚めたのか、喧々諤々の騒ぎの中で、ちらりと隣の光忠を見る。突然の別れに青ざめて震えていやしないか。そんな心配を裏切るように光忠は凪いだ顔で泣き崩れる主人を見つめていた。
「……正則は、しょうがないね」
「光忠?」
「お別れだね、号ちゃん」
「お、おう…」
あまりにも淡々と告げるので日本号は言葉に詰まる。
「敵か味方かわからないけど、また会えたら抱き上げてほしいな」
「いや、敵だったら無理だろう…」
「それもそうか。ともかく、元気で。号ちゃんほどの槍ならきっと活躍するよ」
「おう、お前も達者でな」
言って日本号は席を立つ。最後にわしゃわしゃと頭をかき混ぜた。そうして背を向け広間を去る。
涙のひとつも見せればいいのに。相変わらずこまっしゃくれたガキだ。
それが、日本号と福島の家にいた光忠との間のさいごのやり取り。
号ちゃんの「ただいま」が何となく大切な年下へ向けての言い方に聞こえたのがきっかけ。
少年福ちゃんはさぞ紅顔の美少年だったことでしょう。
歴史考証はガバガバのガバです。
2023/08/23