君とエモーション
あ、きた。
思った瞬間ぶわりと涙が目に浮かぶ。止めなきゃ、と焦る。けれど止める間もなく涙は頬を流れて落ち、自分を抱えていた腕に小さな水たまりを作った。
やって、しまった。
「光忠?」
背中に触れていた大好きな温もりが少し離れて、こちらの顔を覗き込む。そうして涙を流すこちらの顔を見て、少しぎょっとした顔をする。
「おい、お前どうした?ゴミでも入ったか?」
狼狽しながらあたふたとちり紙の箱を引き寄せる様子が可愛くてくすりと笑うと動きを止める。
「光忠?」
今度は少し不満げな声。存外素直な反応に小さく笑いながらちり紙で目元を拭う。
「笑ったりしてごめんよ、号ちゃん。でも大丈夫。これは俺に何かあったわけじゃないんだ」
「は?」
「どう言えばいいのかな……たまにあるんだよ、本霊の記憶が流れこんできてさ。それにこっちも揺さぶられることってない?」
「いや、ねぇけど」
きょとん、とした顔でお互い見つめあう。先に言葉を継いだのは日本号だ。
「……もしかしてお前、顕現してすぐの頃やたら陰で泣いてたのってそれか?」
「ああうん、多分そう。あの頃はブラック審神者?とかいう連中のせいで号ちゃんに折られたり会えなかったりするのがよく流れ込んできてさ……戦闘中は入ってこないけどその他は割と容赦なく流れ込んで来てさ……主や光忠には情緒不安定だと思われたし…」
「ありゃ見かけた奴は大概心配してたぞ」
「あはは、そうだよね…」
わかっていたが皆に心配をかけていたらしい。直接問うてこない優しさがありがたい。
「そもそもそんな話初めて聞くぞ。何でお前そんなもん受信してんだよ?」
日本号の問いに少し考える。はぐらかしてしまいたい気持ちが半分、言える範囲は教えたい気持ちが半分。
「……秘密っていうのは?」
「ナシだ。知らねえところで泣かれたくねぇ」
「俺自身の感情じゃないよ?」
「それでもだ」
てこでも引かない態度に諦める。
「これは推測なんだけど、多分ね、俺の本霊、この戦にあんまり参加する気なかったんだよ」
「……あの正則の刀のくせにか?」
「だからとも言えるんじゃない?福島光忠にとっての戦場は正則と駆けた場所なんだよ。まあ、その辺の理由はどうあれ気乗りがしない福島光忠をそれでも政府の連中は引っ張り出したかった。そっちの理由は知らない。分霊の俺は興味もない」
本当は審神者にこの現象を話した時にいくつか説明を受けているがそれは言わない方がいいだろう。審神者も言っていたがあまり広める話ではない。
「で、戦線に立つ代わりに福島光忠はいくつか条件を出した。折れた分霊が本霊に還る時に、その記憶を本霊が所持すること。まあそんなの誰でも出してる条件だろうから、福島光忠が出した条件ってのは分霊にこの情報を保持させることってとこかな」
「何だってそんなもん」
その問いに言ってもいいか考える。が、ここまで言ったのなら別に構わないだろう。
「これはほぼ確信だけど、交渉の時に絶対号ちゃんの名前を出されてるはずなんだよね。自分で言うのも何だけど、俺を釣るための餌ならこれ以上のものはないしね」
「おう……そうなのか…」
「多分本霊の目的としてはもう増えない日本号との日常を分霊を使ってなるべく多く記録すること。それをなるべく良好な物にするために俺たち分霊にその意識を植え付けて顕現させてるんじゃないかな。同位体と話したことないから予想だけど」
そう言った意味では今の自分と彼の関係は非常に本霊好みなのではないかと思う。一息に喋って疲れたので日本号に寄りかかる。
実際どこまでの情報が本霊に行くのかわからない。自分の内に秘めておきたいことだって生まれた。これが人の身を得ると言うことか。
「……俺にお前を手放す気は更々ないが、他所の本丸だとお前以外と良い仲になってる俺なんて、ゴロゴロいんだろ。それはいいのかよ」
「ああそれ?いいんじゃないかな」
「いいのかよ!」
「うん。福島光忠の分霊である俺に課せられてる使命は三つ。歴史を守ること。主を守ること。そして、与えられた環境で日本号と最善の関係を築くことだから」
本当は別に彼に愛されるのが己でなくてもいいし、彼に恋をする必要もないのだろう。ただその本丸で過ごす日本号の幸せを見届けること。日本号の幸せを壊すことはきっと福島光忠としても本意ではないだろう。
「……で、だ」
仕切り直すように日本号が再び福島の顔を覗き込む。
「ついさっきお前が泣いたのは何でだ」
「はは、今日の号ちゃんは知りたがりだ」
「茶化すな」
真剣な声音に福島も笑いを引っ込める。
「何でって、本霊から情報流されてる理由?それはわからないよ。失敗例見て学んでねってとこじゃない?」
「ああ、そっちはそんなもんだろうな。聞きたいのはそっちじゃねぇ。ついさっき何がお前に流れ込んできた。そこの俺は何をしてた」
やはり気になるか。あまり話したくない内容にふいと顔を逸らすが、すぐに顎を掴まれて顔を固定される。苦し紛れにすいと視線を逸らす。
「光忠」
「……気分のいい話じゃないよ」
「構わん」
小さく息を吐く。福島自身思い返しても嫌な気分になるのだ。
「あのね、そこの俺は多分光忠と上手くやれなくて、長船のみんなとも上手くやれてなかったの。審神者も多分古参の光忠贔屓で俺の味方はあんまりいなかったの。でね、そこに実休が来て、光忠は実休に懐いてて、俺はいらないねって仕舞われちゃって。ほら、人の身ってご飯食べないと弱っちゃうじゃない?なのにご飯もらえなくて」
「光忠」
早く切り上げてしまいたいから早口になる。遮るように呼ばれた名前に少し苛立つ。言いたいことはわかるから、無理矢理そっちに話を繋げる。
「そこの日本号は優しかったよ。そいつと審神者や長船のみんなとの仲を取り持とうとしたり、仕舞われた後もこっそりご飯持ってきてくれたり。最後には、二振りだけで戦場に行ってくれたり」
「光忠、もういい」
いつのまにか、体をひっくり返されて抱きしめられる。この日本号がその本丸の審神者と良い仲だったことは秘密にしておこう。それでも、あの分霊の物語を語る口は止まらない。
「最後には二振りだけで戦場に逃してくれた。で、そいつが折れるのを見届けてくれたってところでおしまい。その後そこの日本号がどうしたのかまでは俺は知らない」
おはなしはおしまい。抱きしめる腕の力が強くなる。
「……すまない」
「号ちゃんが謝ることじゃないね。それにこれは割とマシな……ってて、苦しいって、号ちゃん!」
ぎゅうぎゅうと締め付けるように抱きしめる様は離さないと訴えるようだ。反対じゃないかと苦笑しながら、それでも苦しいのでばしばしと日本号の背を叩く。ややあって体を離され、合わせられた視線はとても険しかった。
「……お前、こんなモンをマシなんて言うなよ」
「うーん……号ちゃんに折られた時よりはマシ……って、睨まないでよ」
「……お前は」
「うん?」
重々しく口を開く日本号に福島が首を傾げる。
「お前は、お前自身の痛みに鈍すぎる」
「そうかな?」
「そうなんだよ。さっきの話それそこ長船の連中にしてみろ。長義は潰しに行く算段立てるし、景光どもはしがみついて離れねぇし、長光どもはお前をあやしにかかるし、光忠どもは自責の念で立てなくなるぞ」
「そうかな……その様子は想像はできるけど、本当にそうなるかなぁ?」
「なる。つーかお前何でそんなに気にしてねぇんだよ」
日本号から伝わらない事への憤りを感じる。そうは言ってもこればかりは仕方ないのだ。
「だって、慣れちゃったからね。俺だって最初は驚いたし気をつけようと思ったけど、今では頻度も少ないし、またかって感じで……そもそも折れたのは俺じゃないし…」
納得する気配はない。もっとも、これについては理解も納得も共感も求めてない。これ以上はどうにもできないので日本号が納得するまで放っておくことにする。こちらも流れ込んで来た情報の意味を精査しなくてはならないのだ。あの記憶は何らかの意図を持った指示だ。
今回は何が本霊の意図が本当によくわからない。日本号に看取られる最期なら何度かあったし、審神者と良い仲の本丸なんて掃いて捨てるほどあるだろう。ならば何を伝えたかったのか。これまでと大差ないところ、今回の独自の事象。頭の中で整理して並べて。
「……実休……いや、光忠の方か…?」
「あ?」
「切っ掛けは確実に実休。そこで環境が激変した。でも根幹はやっぱり光忠と長船の子たち…」
「光忠?」
「えー、もしかしてこれ……いや、現状達成できてるけどさ……何か急に欲深くなってない?」
「おい、何の話してんだ」
日本号に肩を揺すられてはっとする。
何の話。本霊から共有された記憶の内容。その意図と指令。普段通りのもの。施しをくれる日本号。最期を看取る日本号。そうだ返事をしなくては。普段と異なるもの。やけに詳細に語られる長船の者たちとの関係。そこから導かれる追加指令。
突如現実に引き戻され、思考が混乱する。答えるべきこと。問いの意図。何もわからなくてもこれだけはわかる。
「……号ちゃん、俺、すごく幸せだ」
口にした瞬間視界が滲む。涙が溢れて止まらない。突然泣きだした福島に日本号が慌ててそれを拭う。
「……だから何の話だよ…」
「本霊からの追加指令はだいたい達成したし、この先会う奴とも多分上手く付き合えるよ。だって号ちゃんがいてくれるんだから」
光忠や実休はもちろん、長光くんや景光くんたちともうまくやれてて、主はきちんと向かい合ってくれて、本丸のみんなとも問題なくやれて、その上号ちゃんとはこんな夢みたいな関係だ。これが幸せじゃないなら何が幸せなんだろうってくらいだ。
「そりゃ俺はいるが……本当お前、大丈夫か?」
「号ちゃん、俺、きっと最高に幸せな分霊だ」
今度はこちらからぎゅうぎゅうと抱きしめる。泣きながら笑う福島に日本号は何かを言いかけて諦めたようにため息を吐いた。そうしてあやすようにゆっくりと背中を叩いていると、福島が深く息を吐く。
「落ち着いたか?」
「……多分。あーダメだ。これだから号ちゃんの前で受け取りたくなかったのにさぁ…」
「何でだよ」
「感情が負の方向に落とされるのに、号ちゃんがそばにいることで幸せだーってなっちゃって、まともじゃなくなるんだよ……こんな姿見られたくないのにさぁ…」
「お前がここまで自分の話すんの初めてだから、俺は新鮮でよかったけどなぁ」
くつくつと笑う日本号に唸りながら額を押し付ける。感情が許容量を超えるのに思考を回した。今回の敗因だ。
「で、結局お前の本霊は何て言ってきたんだ?」
「多分長船派のみんなと仲良くしながら、号ちゃんと良好な関係を築けってとこじゃない?正直今残ってる分霊たちで長船派と険悪なとこってなさそうだけどさ」
「まあ、お前含めどいつも世話焼きだから余程のことがなきゃ問題は起きねえだろうよ。お前も問題ねぇしな」
「いいの?俺、光忠はもちろんだけど後代の子たちも可愛がっちゃうよ?」
「今更だろ」
わしわしと頭を撫でながら日本号は言う。
「それに、本霊云々を別にして、お前がお前で楽しく過ごしゃそれでいいんだよ」
「……どっか行っちゃうかもよ?」
「はっ!どこ行こうが最後にお前が戻って来んのは俺のとこだろ」
自信満々に言い放つ声音に、引っ込んだはずの涙がまた出てきてしまう。
「号ちゃん、やっぱ俺、一番しあわせな分霊だ」
「そーかよ。んじゃ、もっと幸せになって本霊が何度も見たくなる記録ってやつになろうぜ」
言われて少し考える。本霊に何度も見られる。
「……それはいいや」
「何でだよ」
「だって何度も見られるってことは、号ちゃんのあんなかっこいいとこもこんなかっこいいとこも全部見られるってことじゃん」
それは少し抵抗がある。自分の前にいる日本号の表情は自分だけのものであって欲しい気持ちが勝る。そうかそうかと日本号は愉快そうに笑う。
「ま、号ちゃんと一緒にいられらたらそれだけで幸せなんだけどね」
「なんだ、だったらこういうのはもういらねえか?」
笑う福島を抱えたまま日本号は体を倒し、反転する。床に転がされた福島は数回瞬きした後、日本号の首に腕を回し引き寄せ、口付ける。
「欲しいに決まってるだろ」
日本号に与えられるものなら、何だって幸いになるのだから。
終わりが見えなくて過去一意味がわからない話になった。
号福はぎゅうぎゅうくっつけたくなる…
2023/09/02