トリミング

 ぱちんとひとつ、瞬きをした。
 別に、初めて言われたわけではない。前後の言葉からそんな意味合いはない。それでもその言葉は福島にとって特別な響きになる。
「……号ちゃん、もう一回言って」
「聞いてなかったのか?これ食って寝ろって言ったんだよ」
 そうだけど、そうじゃない。ほれ、と盆を差し出す日本号に思わず頭を振ってしまう。
「何だ、いらねえのか?」
「いる……でも号ちゃん、もう一回。部屋に来た時に言ってたこともう一回言ってよ」
「……お前、だいぶ疲れてるだろ」
「ねぇ、頼むよ」
「わかったわかった言ってやるから…」
 言いすがると日本号の顔に心配の色が浮かぶ。それでも福島はその言葉が欲しかった。何だったかと思い出す素振りを見せながら日本号が口を開く。
「お前ここんとこ近侍の仕事で忙しくしてんだろ」
「うん」
「休めっつっても聞かねえって長船の連中が騒いでんのを大般若から聞いて」
「あ、ちょっと飛ばしていいよ」
「何だそりゃ?」
「そのままでもいいよ」
 真面目な顔で続きを促す福島に日本号は困惑しつつ話を続ける。
「燭台切が納豆巻き作ってたから俺が持ってきたんだよ」
「あ、ちょっと飛ばしすぎだ。そこの前」
「そこの前ってお前な…」
「お願い」
「おい光忠」
「お願い」
 真剣な顔で言い募れば日本号はわけがわからないと頭を掻く。それでも応えてくれるから福島は彼に夢中なのだ。
「……最終的に実休の出したお前が好きなもんを差し入れに…」
「ストップ!」
「…………」
「……そこ、もういっかい、言って…」
 こちらの意図を察したのだろう白けた目を向けられるがなりふり構ってはいられない。
「号ちゃ、むぐっ」
 要求を押し通そうと開いた口が何かを入れられて塞がる。咀嚼すれば口の中に広がる納豆の風味。飲み込んで改めてせがもうと口を開けばもうひとつ食べさせられる。
「そんなに言って欲しけりゃ、布団の中でいくらでも言ってやるから、とりあえず今は大人しくこれ食って寝ろ」
「ほんろ?」
「お前相当疲れてるな。なんなら寝るまで言ってやろうか?」
 それはそれで眠れなくなってしまいそうで困るかもしれない。なんてことを考えていた福島は、口に入れられるままに食べていた納豆巻きの舌触りに違和感を覚える。
「号ちゃん」
 楽しげに福島に食べさせる手を止める。心持ち不満そうな気配を滲ませるが、福島としてはこれだけは確かめておきたい。
「これ、本当に光忠が作ったの?」
「そうだよ。なんだ、弟がわざわざ作ったってのに不満か?」
「ううん、不満はないよ」
「じゃあ何だよ?」
「別に。でも号ちゃんがそうだって言うなら、そうなんだろうね」
 あ、と口を開けて次を催促すると納得いかない様子のまま、また次を入れてくる。そうして最後まで食べ終えた福島を日本号が担ぎ上げる。
「わっ、え、何?」
「悪いがお前を布団に放り込むまでが俺の仕事なんでな。で、だ。光忠。お前どっちがいい?」
「どっちって?」
 意図を上手く汲めずに聞き返すと深いため息が返ってきた。
「お前の部屋と俺の部屋、どっちで寝る?」
 そう聞かれてようやく話が繋がった。
「……号ちゃんの部屋がいいな」
「おう」
 応えて日本号は立ち上がる。そのまま向かう先は望んだ通り彼の部屋だろう。ぶらぶらと揺れる手足をぼんやり眺めながらどうして運ばれているのだろうかと考える。
「号ちゃん、俺自分で歩けるよ」
「俺がやりたいからいいんだよ」
「そっか。号ちゃんがやりたいのか」
 その言葉で先程の引っ掛かりもすとんと腑に落ちる。
――別に、号ちゃんの手作りだって嬉しいんだけどな。
 きっと日本号は知らないのだろう。多分知っているのは当事者である福島と燭台切以外なら無遠慮に覗き込んできた実休くらいだ。
――号ちゃん、あのね。光忠は俺に納豆巻きを作る時、挽き割りは使わないんだよ。だって俺が小粒のをそのまま使ってって頼んだから。
 先程口にした納豆巻きは滑らかな舌触りだった。多分一般的にはその方が食べやすいからそうしたのだろう。
――別に隠さなくてもいいのに。
「号ちゃん、納豆巻きごちそうさま」
「……そりゃ燭台切に言ってやれ」
「でも、運んで食べさせてくれたのは号ちゃんだろう?」
「まあ、そうだな」
 ゆらゆらと揺られているとだんだん瞼が重くなる。布団まで持つか怪しい。
「号ちゃん、もういっかい、言って」
 夢の中に片足突っ込んだ状態で乞えば、日本号はふは、と気の抜けた声で笑う。それからわざわざ顔が見えるように抱え直す。ふわふわと夢見心地な福島を愛おしむような顔をして、そっと耳元に口を寄せて、ひとこと。
「お前が好きだよ」
 起きたらまたいくらでも言ってやる。意識を手放す手前、そんなことを言われた気がした。

号福と納豆巻きのおはなし
5/29に寄せて

2024/05/30
close
横書き 縦書き