明日をのぞむ
どっかに行っちゃいそうな気がする、って言ったらお前は鼻で笑いそうだけど。
来るはずの明日が来ないって、どんな気分なんだろう。
「もう少しゆっくり歩こう」
「は?」
「足がすごく重いんだ。多分これって疲れてるんだよ」
嘘を言って速度を落とす。あっという間に開いていく距離が、なんだか侘しい。
「疲れたってお前…」
「足が棒みたい」
「だからさっきの道で引き返しておけばよかったのに…」
夕焼けに連れていかれそうなくらい茜色に染まった頬に唇に眼差し。
疲れた疲れたと中腰になって窺うと、相手はさほど機嫌を悪くした様子もなく。
「……まったく、世話の焼ける…」
むしろ仕方なさそうに笑うと同時、手首を掴んで立たせてそのまま少しだけ遅くなった足に、握りしめられた手首。腕と腕とがいっぱいに伸びている間をあわてて小走りで詰めた先、隣にいて差し伸べられてはじめて繋がる茜色の線。
逃がしたくない、と必死に僕が指を絡めるのに、不可解そうに眉を寄せ、わからないままに力をこめ返す指は奥に高鳴る心臓までも握りつぶして、力に逆らうためかさらにどくどくと脈打つ。
「それにしても、今日はよく歩いたね」
「お前が道草食って変な方ばっか行くからだろ」
「でもその分面白かっただろう?」
「……まあ、それはな…」
盗みに見た横顔の茜色はじわじわと広がって、瞳の色味が変わってしまいそうになる。眺めて前に動かしてみれば、今日を終ろうとする太陽の鮮烈な最後が突き刺さる。
明日を迎えようとするその揺らぎ。
茜色と触れた体温は僕の身体でじっとりと温まっていて、身体以上の繋がりを感じさせるけれど。
どうしてだろう。こんなに近くにいるのに、お前がどっかに行っちゃいそうだ、なんて。なんで思ったりするんだろう。
僕の知らない明日に、心の奥でくすぶるもの。
夕日の茜を種火に焦げ付くその、今日の終わりを見つめて、明日の始まりを思って。
僕の眉根は寄る。
来るはずの明日っていうのは、お前が待っていた明日っていうのは、いつ来るんだろう、って。
明日は明日だって片付けるには、僕はちょっとだけ知りすぎていて。
お前の迎える明日っていうのはきっと、僕の迎える明日とは少しだけ違う。
来ないんだ、明日が。
お前の世界には。
明日いるはずの人がいないから。
その空間に踏み込んだことへの後悔はない。と、同時に、怖くないわけでもない。
今みたいに、あの太陽みたいに。僕との今日がぐずぐずと沈んでしまう日が来たら、君の明日がまたくる日なのかなって。お前はまだ、こころのどこかでそれを待ってるのかなって。
わからないまま僕は迷っている。
否定されるのは気休めみたいで、肯定されるのはそれよりも怖くて。
聞けないまま僕はただ迷っている。
来るはずのない明日が来ないって、どんな気分なんだろう。
きっと、いいものじゃないんだろうけど、忍び寄る気配に寒気がする。
来るはずの、明日。
来るはずのない、明日。
来なくなる、明日。
足場を無くす、空恐ろしさ。
離れたくないとか、話したくないとか。
そう思うと本当なら持っちゃいけない独占欲が風船みたいに膨れ上がる。
お前は僕のだって、言ってしまうにはたりないものが多すぎて。
僕のすべては君に渡してしまえるけれど、お前はすべてを僕にきっと渡してくれない。
ぞくりと身を貫く感覚。頭から急に冷たくなるのを歯を食いしばって。
「……大変だ、福島」
「何」
「今日の夕飯は燭台切の新作レシピの日だよ」
「そうだな。出かける前に俺も言ったけどな」
「早く戻らないとなくなってしまうよ」
「散歩に行こうって言ったのはお前だろ」
「だってまさかあんなに遠くまで行けると思わなくて」
「……誰かが気付いて残してくれますように」
手を力一杯に引いて道を走ると、今度は僕が茜色に染まる番。
「歩いたり走ったり、忙しい奴だな…」
「来たのを後悔してるかい?」
「……さあね」
すっと細められた目の、その中には確かに僕がいて、たまらなくなってまた前を見る。
視界がおかしい。色がこぼれていく。
「……なあ実休」
「何だい?」
「明日、さっきのところまで行かないか?」
気付いてないのか。気付いているのか。
多分後者のようなやさしい声に笑いかけようとして、やっぱりダメで。諦めて首を縦に何度も何度も。
「……ふくしま…」
「実休」
やさしい強さが指を締める。震えて離れそうになるそれを紐で括るように。
「早い時間から出かければ、道草だってたくさんできるだろ」
僕はお前を好きだからねって言ったら、きっと押し黙るんだろうけど、僕の今日に確かに君はいるんだから。
また明日。また今日。って繰り返してふたり揃ってるならそれで充分だから。
だから。
また明日、って君に言えてる僕が、僕の明日にいますようにって願えば、指と指のすきまにあたたかい水が一滴落っこちた気がした。
2023/10/29