バランスゲーム
――たぶん光忠はさ、
それは確か福島が言った言葉だったと思う。
その先が思い出せずに何度か頭を悩ませてはみたが、思い出せないのなら大切なことでもないのだろう、と思った。
『よう、光忠。元気にしてるか?玄関開けてくれよ』
久し振りに福島からかかってきた電話。機械越しにも伝わる福島の平坦な温度に少なからず落胆の色を隠せなかった。
「どうしたのさ、あなた。こんな急に」
しばらくの間連絡をしてこなかった福島を非難するように少し声のトーンを落としてみる。直接的な恨み言を言うつもりはない。自分が相手を欲しがっていたなんて、きっとここぞとばかりに喜んでみせるだろう。
できれば主導権は自分が握っていたい。けれど勝ちを確信されたらきっと、主導権は福島に渡ってしまう。
福島の奔放さに妬くのが日常茶飯事だなんて、それほど面倒なことはない。現状既に翻弄されているのだ。これ以上なんて本当にごめんだ。
『おーい?光忠ー?』
こちらの思いなど知らない福島は声色ひとつ変えることなく、変に間延びした言い方でこちらに呼びかけていた。
『なあ、無視かよ』
そっちこそこちらの質問を完全に無視しているくせに何て言い草だ。からかっているのかと呆れて通話を切る。扉一枚向こう側で相変わらず笑っている姿が思い浮かんだ。
「なあ、光忠、聞こえるか?」
今度は玄関越しに声が届く。
「うるさいなあ、開けないよ。アポ取ってから出直してよ」
「うわあ、ひどいな……開けてくれないと言いふらすよ?ここに住んでる長船さんは健気な通い妻を無下にするってさ」
「まずあなたは健気じゃないし、そもそも通い妻じゃないでしょう」
「……もしかして、怒ってる?」
「あなたがふざけてるからだよ」
「ごめんごめん。謝るから開けておくれよ。ドア越しじゃ愛の言葉なんて囁けないし、な?」
――ねぇねぇ、自分は怖くないよ。だからちょっと扉を開けてごらんなさい。
まるで有名な童話のようだ。
口元に浮かぶ笑みを必死に抑えてドアを開ける。あの話のヤギもこんな気持ちだったのだろうか。いや、あれは確かもっと純粋な話だった。
玄関を開ければ福島はやはり予想通りの顔で微笑んで、久しぶりとだけ言った。
「光忠は難しく考えすぎなんじゃないかな。主導権なんてさっさと俺に渡しちゃえばいいのに」
脱いだ靴を揃えながら福島が言う。
「そうしたらもっと光忠のこと好きになるよ。光忠が欲しがってる電話だってメッセージだってしてあげるし、何だって好きにさせてあげるよ」
――だから、愛の言葉はお前が囁いてよ。
なんというか。主導権なんて元々馬鹿馬鹿しい話だったのだ。
燭台切は気付いてないけど、福島も福島で気を引こうと精一杯だったりする。
2023/10/25