「飲みすぎて見た幻……ってわけじゃないな?」
出会い頭にこぼれた一言に、審神者は多分本物だと苦笑した。その笑みに、心底安堵した自分がいた。
己に根深く巣食う福島への思いと、それに反する現状について、日本号は未だ折り合いをつけられずにいる。
黒田家縁という自身の来歴から、日光との関係を完全に断つこともできなかった。そもそも福島が居合わせなければ別段日光に対して悪い感情を抱くこともない。多少煩わしい自称兄貴分であり、そこから変わることもない。
そして、燭台切との関係が改善し長船の連中に馴染もうと、本丸の中で親しい者ができようと、心中で日光に思いを寄せていようとも。福島の交友関係の中心が日本号であることは変わらなかった。誰と居ようと少し待てば何か用かとひょこひょこついてくる。ただ、日光に向ける視線だけ仄かに甘く熱を帯びている。
悲しいことに関係を手放すという選択を取れるほど日本号の福島に対する執着は浅くはなかった。日本号にできたのは気付く前と変わらぬ優しさで福島に接する、真綿に針を隠したようなものだった。
半ば生殺しのように友として笑う福島と過ごし、時折居合わせる日光に向ける蕩けるような表情に嫉妬し、そんな半端な己に嫌悪を募らせる。悪いものばかりが胸のうちに積もっていく。人の子のする恋とはかくも苦しいものだったのか。
いつ審神者が戻るかわからない本丸。強引に福島の手を引いて己の神域に閉じこもってしまおうかと考えたことは一度や二度ではない。
けれどその考えで頭が埋まるすんでの所で心配したように福島に声をかけられて思い直す。
号ちゃん、どうしたの?
日本号の心情など何ひとつ理解していない福島。きっとこのまま連れて行けば、ついてはくるが日光への思いは抱え込んだままだ。それは日本号が連れて行きたい福島とは違う。
何でもないと誤魔化して、何食わぬ顔で距離を置いて一人になる。慎重に慎重を重ねて他者の気配がないことを確かめてから、腹の中で暴れる感情を吐き出す。
福島に知られて今の関係が崩れることは耐え難いし、何より他の者にこの腹の中の怪物を知られることは日本号の正三位のプライドが許さなかった。
だから審神者が戻った時、内心とても安堵した。これでしばらくは福島を連れて行ってはいけない強い理由が与えられた。
そう、日本号は感じてしまった。
二月の雪の日。審神者が帰ってきた。近侍の鶯丸がいつも通りのんびりと出迎えて、その日の食事は厨番たちが腕を奮った豪勢なものだった。視界の端に祝いの飾り付けを見つけたのだろう。申し訳なさそうに審神者は今回の要因について語った。そんなことは初めてだが、そもそもここまで長く本丸を空けたことも初めてだ。
「それは確かに、戦をできる気分でもなかったろうな」
審神者の話に鶯丸が代表して返す。
「戻って平気なのか?」
次いで問うたのは山姥切国広。誰よりも審神者と共にあった刀。難局には確実に駆り出される審神者が最も信頼する一振り。見定めるような視線を受け止めて審神者は答える。
しばらくは多少の無理をしてでも審神者業に取り組む。そうすることで乗り越えられるものもあるだろうから。
薄氷の上を歩くような一言。次に審神者の心が折れた時は本丸が終わるのではないか。そう感じさせる言葉だった。
戻ってきてから審神者は半日ごとに近侍を入れ替えるようになった。順繰りに全員と話をするつもりらしい。日本号も当然呼ばれた。
「……なあ主、人の子のする恋ってもんはこうまで苦しいもんなのか」
近況を聞かれてぽつりと返す。審神者は少し考えた後、自分は恋をしないからわからないけれどと前置きをしてこんな話をした。
恋とは所有欲の延長にあるもので、脳内麻薬のようなものではないか。自分の願望が主体のその欲が相手を主体にできた時、いわゆる愛に変わるのではないか。要するに相手は自分と違うから恋はままならず苦しいのではないか。
所有欲。言われてすとんと腑に落ちる。福島が顕現してからいつだって、その存在を手元に置きたかった。だから燭台切や長船の連中と親しくなりすぎるのを警戒したし、自分ではなく日光を見つめているのが気に食わなかった。
「……どうするもんなんだ?」
これにも審神者は少し考え、伝えるのが早いけど、伝えられない事情でもあるのかと返した。その通りすぎてぐうの音も出ない。
岡惚れなら諦めろ。唸る日本号への容赦ない一言に考える。岡惚れではないはずだ。ただ、思いを自覚して伝える前に、向こうに思い人ができただけだ。多分まだ通じてはいないと信じたい。
あとは胸に秘め通して、思い出に変えてしまうことくらいか。これまで通り自分から刀剣男士に関わることはしないから、あとは自分で頑張れ。
ただ己が半端なことをしていると突きつけられただけで、審神者への恋愛相談は打ち切られた。
全員と過ごした結果、鶯丸に不満があるわけではないが、気分を変えるため近侍は入れ替えとなった。
新しい近侍は福島だった。
審神者のいる間の近侍の仕事は多い。
まずは部隊の編成。審神者の希望や方針を聞いて合う者を選んで配置していく。出陣、遠征、予備部隊。すべてを組んで全員に告げる。この時ある程度正当な理由がなければ棄却される。鶯丸はそのあたりをいつもの「細かいことは気にするな」で押し通していたが、福島にその要領の良さはない……わけではなかった。
長船派の連中が持つ交渉力で、審神者の外出に随行した際に他所の近侍から聞いた要領の良いやり方とやらを取り入れて、早速結果を出していた。元々の人当たりもいいし、交友関係も広がっている。不満をいなしながら円滑に審神者の立てた方針に沿った部隊を組んでいく。
それでも悩みはあるようで、時折食堂の隅で頭を悩ませている。ここは人目につくし、何より弟の燭台切が厨番上がりに差し入れと共にやってくる。福島にとって好都合な場所なのだろう。
日本号も時々声をかけて向かいに居座る。大抵は酒を飲みながら眺めているだけだが、笑いながら世間話に興じて、時折困りごとを相談してくる。
お前はこれだけ凶暴な感情を腹の内に飼ってる奴を相手にまだ態度を変えずにいられるのか!
歓喜と焦燥が無い混ぜになって、いつも適当な返ししかできないが、仕方ないなぁと目元を緩める福島はこの時しか見られなくなっていた。そのくらいに物理的な距離が二振りの間には開いてしまった。
久しく側にいない相手。無性に触れたくなって手を伸ばした、その時。
「編成変更についてか?」
不意に、聞き慣れた声が割り込んでくる。
「あ、日光くん」
お疲れ様。という声は明るくて反対に日本号の機嫌は下がっていく。何で来たんだとじとりと睨むが受け流される。日光相手に通じたことはないので気にしないが。
「編成、というか周回プランかな……主はこれでいけっていうけど、これだと白山くんの負担は大きいし、ほとんどの隊員が中傷で進軍することになってしまうから…」
「ふむ。他の部隊員……何より白山吉光の意見は聞いたか?」
「一通り。白山くんは役目ならって。他にも国広くんや今剣くんにも聞いてみたけど、今の練度を上げるために挑むなら白山くんは必要だって…」
「なるほど…」
「白山くんの能力がなければ進軍できないってどんだけ厳しいんだろ…」
流れるように続く会話。こいつら、こんなに親しかったか。怪訝そうに見ていると日光がこちらに視線を向ける。
「んだよ」
「いや、日本号、お前もそれなりに古参だ。何か情報はないか?」
「情報ねぇ…」
そうは言ってもこの催し物は過去に一度奇跡的に審神者の体調が良かった時に三日で無理矢理片付けたきりだ。白山吉光の運用はその時のものだ。そして日本号はこの時出陣していない。
「俺ぁ出てないが、そういやへし切の奴は出てたな」
「そうか。へし切から話は聞けそうか?」
ぽやんとした目で日本号と日光の会話を見ていた福島が話を振られて一瞬慌てる。
「長谷部くんかい?多分大丈夫だよ」
最近色々手伝ってもらっているから。にこりと人好きのする笑みを浮かべる。その視線は先程からずっと日本号を向かない。
ガタリとわざと音を立てて席を立つ。どうしたの、と驚きと心配が半々の福島と仏頂面の日光の視線が向けられる。
「寝るわ。あんま無理すんなよ、光忠」
「心配ありがとう。おやすみ号ちゃん、良い夢を」
穏やかな笑み。そこに日光へ向ける時のような仄かな熱はない。日光の小言を無視して食堂を去る。
これ以上は耐えられなかった。会話中二人なら交わる視線は、日光を交えると途端に合わなくなる。福島が見つめる先はいつの間にか隣に座る日光になっていた。
どこで誤ったのだろうか。
この半年繰り返す後悔と自問自答。
審神者が長く伏せった頃に関係を変えようとしなかったことか。
夏の連隊戦前に目を離したことか。
顕現したばかりの大規模侵攻に不安がるのにつけ込んで口説き落とせばよかったのか。
いずれにせよ、間違いの大元は自分だけが福島の特別足りうると過信したことだ。特別の意味すら考えることなく、現状に満足してしまったことだ。意味の異なる新しい特別が福島にできるとは露程も思わず。
いっそ福島の思いに気付いた時に無理矢理にでもことを運べば伝わったのだろうか。
酒を煽ってから深く息を吐く。
胸に秘め続けてその恋が思い出になるのを待つ。
いつの日にか審神者が言った言葉。思い出になるほどの時を待てる気がしない。待てたとしてもやはり福島へ抱く思いは変わらないだろう。
辛抱のできなくなった自分はやはり福島を強引に神域に攫ってしまう。
踏みとどまっているのはしばらくは審神者業に勤めると言った審神者の言葉。薄氷のようないつ割れるとも知れない言葉。
もしも次にふた月、主が不在となったら。その時はきっと。
過った考えに頭を振る。けれどきっとそうなるだろう。
「……だから主にはいてもらわねぇと困るんだわ」
呟きは夜の喧騒の中に紛れて消えた。
何故か唐突に号さんでバームクーヘンエンドをやりたくて衝動に任せて書いたもの。最初は長谷部さんの予定だったけど「うちの本丸」ならにこにき一択だった。
うちの本丸ではにこにきと福ちゃんは同期で誉れの取り合いをする仲です。割と仲良しです。
審神者と本丸のあれこれや権限の時期や順番は完全に私のプレイデータを元にしてます。(かなりのサボり魔審神者)
実はこの話の福ちゃんサイドも考えてはあるんだけど、あんまりにもあんまりなので書くの躊躇ってる。
とても余談ですがこの号さんは連隊戦23夏の時に審神者に福ちゃんを一振り譲って欲しいと嘆願し、習合したいから二振り見つけたら片方いいよと言われ鬼のように出陣し、ノー福ちゃんという結果でした。