『号ちゃんへ
この手紙を君が読んでるってことは、俺は失敗したんだろう。
安心してほしい。俺はもう二度と君の前には現れない。
さようなら。
福島光忠という人間については、君のタイミングで思い出してくれればいい』
買い置きの洗剤類をまとめて仕舞った棚の隅に、ひっそりと置かれていた手紙。書いてある内容についてうまく飲み込めず、蹲って呻く。
それは、いつもの書き置きなどより余程丁寧な別れの挨拶だった。
* * * * *
「何だい旦那、福ちゃんの話が聞きたいって?」
〈福島光忠〉について知ろうとすると、手がかりはどうしてもここになってしまう。般若経由で何か知ることはできないか。一縷の望みに縋るように、日ノ本は己の知る福島光忠について話す。少年時代によく遊んでもらったこと。葬儀の後しばらくして引っ越すことになったこと。冬になるたびに現れる相手のこと。ある朝起きたらそいつが消えていたこと。数日前に見つけたこの手紙のこと。
日ノ本の話のすべてを聞いた般若は何かに得心した様子で手を打った。
「ああ、アンタが号ちゃんだったのか」
「は?」
「ああすまんすまん。実は生前の福ちゃんからアンタの話はよく聞かされてね。近所に可愛い子がいるんだって、うちの花壇にある花を詰んで持ち帰ってたんだ。いやーてっきり可愛いお嬢さんだとばかり思ってたよ」
「悪かったな、厳つい大男で」
「いいや?あんたが福ちゃんを大事に思ってくれてるのは嬉しいさ。それで、改めて何を知りたいんだ?」
般若の目を真っ直ぐと見つめる。知りたいことは多いが、彼から得られるものは限られるだろう。
「あいつが……光忠が死んだっていう事故についてだ」
「……なるほど、ね」
頷いて般若は端末を操作し始める。しばらくしてぱっとこちらを振り仰ぐ。
「号ちゃん、明日は空いてるかい?」
「明日ぁ?まあ空いてるが」
「それは上々。光忠が会ってくれるってよ」
「……光忠?」
「ああ、弟の方さ」
「弟…?」
腑に落ちない様子の日ノ本に、詳しいことは明日来たら話すさと般若は笑った。
翌日。駅前で待ち合わせて案内されたのはちょっとした豪邸だった。早速帰りたくなった日ノ本には構わず般若は中へと入っていく。
「いらっしゃい。わざわざごめんね」
玄関先で出迎えたその男には見覚えがあった。携帯電話を買ったのだとご機嫌で写真を撮っていた福島の画像フォルダの中にあった一枚。自慢の弟なんだと言っていた少年の面影があった。
「アンタがその、光忠さん、か?」
「ああ、長船光忠です。と言っても兄さんも光忠なんだけどね」
その辺の事情も後で説明するよ。苦笑しながら光忠は廊下を先導する。
「わざわざ来てもらったのはね、貴方にも、手を合わせてもらえたらと思って」
お葬式にも来てくれてたって聞いてるよ。そうして案内されたのは仏間。手招かれて前に来た仏壇には、あの日、花に囲まれた福島の写真で、ツキリと胸が痛む。それでも静かに手を合わせた日ノ本を光忠は見守っていた。
それから立ち上がった日ノ本は今度は客間に案内される。
「兄さんの、事故のことだね」
ゆっくりと光忠が口を開く。日ノ本が十二歳の秋、修学旅行で行った山。そこで起きたバス事故。それが原因で日ノ本の初恋の相手である福島光忠は帰らぬ人となった。
「事故が起きた場所は覚えてるか?」
「細かい場所まではちょっと……でも行き先はしおりを見ればわかるから、後で探して教えるね」
「助かる」
その後はお互いの知る福島についてぽつりぽつりと話、適当なところでお暇することにした。
「……兄さん、そっちで楽しく過ごしててよかった」
小さくこぼした光忠の言葉が、何故かひどく耳に残った。
* * * * *
「兄さん方ーお客さん連れてきたー」
奥に向かってそう投げかけ、日ノ本にも上がるように言う。言われるがまま上がった日ノ本は何故こうなったのかとため息を吐いた。
長船家を訪問して幾日か。福島の弟は約束通りに旅行の日程とおおよその事故現場を教えてくれた。それを知って何をしたかったわけでもない。けれどそこに行けばあのここ何年かを過ごした福島と会えるのではないかと直感が告げていた。そうして訪れた事故現場には当然何もなかった。当然だ。十五年は経っている。何か残っている方が奇跡だ。帰ろうかと思った、その時だった。
「あれっ、こんなとこに人なんて珍しっ」
不意にかけられた声に振り返ると、日焼けした肌に鮮やかな青い髪の男が経っていた。
「こんなとこでな〜にしてんのっ?そうだ、寒くなってきたしウチに来なよっ」
日ノ本がどう答えるべきか悩んでいるうちに、男は日ノ本の腕を引き、半ば強引に彼の家に連れてきてしまった。
「客だと?八丁、どうしてお前はいつも突然に…」
声をかけてからさほど時を置かずに奥から赤髪の男が出てくる。
「包平の兄さんただいまっ!この人あの子のいたところにいたから知り合いか、もしかしたらごーちゃん本人かなって」
八丁と呼ばれた男の言葉に日ノ本は固まる。こいつらはあの福島を知っているのか。
「あんたたち、光忠のこと知ってんのか!?」
割って入った日ノ本に二人は顔を見合わせる。
「知ってるっていうかあ…」
「その前に、お前の言う光忠というのはどの福島光忠だ」
「どの…?」
「お前たち」
困惑していると不意にまた声が割って入る。あ、鶯の兄さんという八丁の声に視線を向けると、今度は緑の髪の男が部屋から顔を出していた。
「いつまでそんな寒いところにいるんだ。客人だと言うならとっととこっちに連れてきて、茶でも飲みながら話せ」
言うだけ言って鶯は首を引っ込める。包平も八丁も言い分に納得したのか、日ノ本を奥へ案内する。
通された和室で座布団に座り、出された茶を飲んで一息。口を開いたのは包平だった。
「何の目的であの場所にいた?」
何の、と問われて少し詰まる。春になれば姿を消す彼が帰る先はどこか。ずっと考えていた。漠然とした感覚だが、幼い頃参列した葬儀の場にも、先日手を合わせた長船家の仏壇にも、福島がいるとは思えなかった。
「……あいつがいるなら、死んだって場所だと思って見にきた」
「……そうかすべて承知の上、か」
深くため息を吐いた鶯は湯呑みを置くと八丁に声をかける。
「先に行ってお前の工房の鍵を開けておけ」
「かしこまりっ」
鶯の言葉に素直に応じた八丁は小走りに部屋を出て奥へと向かって行く。その背を包平が廊下は走るなと言う声が飛ばし追いかけ、鶯がおかしそうにくつくつと笑う。それから不意に真面目な顔を日ノ本に向ける。
「知っての通り、お前の友人だった福島光忠はそこの山であった事故で死んでいる。その時に残った残骸をあれやこれやして、お前が最近まで会っていた福島光忠になった」
「あれや、これや…」
「その辺りはまあ、そうだな……お前が今の福島光忠を受け入れられたら話してやろう」
俺たちも行くぞ。そう言って鶯が腰を上げ、廊下に出るのに慌てて続く。薄暗い廊下を出て渡り廊下を通った先には小さな土蔵。扉の前には先に行っていた包平が立っていた。
「行けそうか?」
「八丁が調整中だ」
「まあ、ほどほどでいいんじゃないか?どのみち途中で崩れるだろうに」
「……お前は時々驚くほど雑に物事を扱うな」
深いため息の後、包平は中の八丁に声をかける。ほどなくしてはいはいと軽い調子で八丁が顔を出す。
「入るぞ」
鶯のそれは確認ではなかった。特に抗うことなく八丁はそれを通す。どうすればいいかわからない日ノ本に、包平が入らないのかと声をかける。福島は中にいるぞ、とも。深呼吸をして日ノ本は頷き、扉を潜る。
明かり取りの小窓と吊るされたいくつかの電球以外に光源のない室内は薄暗い。目を細めてなんとか周囲を確認していた、その時だった。
「――号ちゃん?」
かけられた声に弾かれたように顔を向ける。そこには、突然姿を消した福島が驚きに満ちた顔でこちらを見ていた。
「ああ号ちゃん…!本当に号ちゃんだ!」
駆け寄ろうとした福島はしかし三歩ほど進んだところで足を止める。まるで、見えない壁でもあって進めないかのように手を伸ばそうともしない。
日ノ本はといえば、想像以上に知っている状態の福島の登場に頭が真っ白になっていた。
「話さないのか?」
不意にかけられた鶯の言葉にゆっくりと顔を向ける。鶯もその隣に立つ包平も凪いだ顔をしている。八丁だけが少し悲しそうな顔でこちらを見ていた。
「アレはあそこからは動けない。そしてさほど時間も残されてはいない。話をするなら急いだ方がいい」
ほら、と促されて日ノ本は重い一歩を踏み出す。
「み、つただ…」
呼びかける声は張り付いた喉から無理やり出したからか震えている。それでも日ノ本が名前を呼んだことが嬉しいのか福島は破顔する。
号ちゃん。号ちゃん。重い足取りで近寄る日ノ本に嬉しそうに、見えない壁を邪魔そうに福島が叩きながら呼ぶ。
「……光忠っ」
込み上げた感情のままに名前を呼び、日ノ本が駆け寄った、その瞬間。
――べしゃり。
見えない壁に叩きつけていた福島の右腕が落ちた。
「……は?」
「……ぁ……ごう、ちゃ…」
――ぐしゃり。
顔を引き攣らせる日ノ本の目の前で、今度は両足が崩れる。その後はもうなす術もなく、福島は崩れて土の塊のようになっていく。手足を顔を作ろうとしては失敗したように崩れていく。日ノ本はただ、呆然とそれを眺めていた。土塊がどこかに口を作ってはごうちゃん、と力なく呼ぶ声だけが響いていた。
* * * * *
「君、随分とらしくない遊びをしてるじゃないか」
端末から聞こえる言葉に、鶯丸は何がだと疑問に思う。問おうかと思ったがすぐに言葉が続いて解決する。
「土塊に命を吹き込むなんて、そういうの、君の趣味じゃなかったろう?」
「なんだそれか。あれは八丁が拾った願いだ」
「ああ、君の弟分の…」
「山で見つけて来たらしい。未練が強すぎてそのままだと悪さを始めるから何とかしようということらしい」
弟分の八丁は素直だが共感しやすい。良いものにも悪いものにも惹かれる厄介な性質を持っている。ようやっと線引きができるようになったと思ったら、何とも扱いづらいものを連れ帰ってきたのだ。きちんと世話して看取ることを約束に好きにさせたところ、なかなか上手に肉体を与えていた。
「それでもやはり安定しないから包平が制約で補強してやった」
「秘密を暴かれなければってやつか」
「……どこで知った?」
「本人だよ。俺は暴けるから迂闊に話せないって。あれ、君の忠告だろう?」
「……会っていたのか」
「まあ、明らかに人間じゃない奴が光坊の周りをうろついてたからな。何のつもりか問いただした」
「関係はなかっただろう?」
「まあな」
言って白い青年が肩を竦める。実のところ、この青年に暴かれたとて、アレに影響はない。包平の制約はただ一点。日ノ本号に正体を糾されないことだ。その一点と制限時間さえ守れば、アレは何をしてもいいしどこへでも行けた。ただし、それが崩されればすべてが崩れる。包平の術はそういう術だ。
「で、仕上げに君が認識阻害をかけた、と。期間を区切ったのはかかりをよくするためか」
「そんなところだ」
相対している間しか記憶に残らない。過去も外的要因がなければ振り返ろうとしない。相手にとって曖昧な存在になることで境界を曖昧にした。思い返せば随分と手を尽くしたものだ。
「珍しいな。君が……というか君たちがそこまでしてやるなんて」
「まあ、アレの運命をねじれさせた要因に多少なりとも噛んでいればな」
「……ん?」
「アレの父親を占ったうちの一人が俺だ」
「……まさか君…」
「その双子に不運がまとわりついていると言ったのが俺だな。まさかこういう結末になるとは思わなかった。因果なものだな」
「……光坊も彼も、生きていて不幸だと感じてはいないぜ」
「そうか」
所詮身勝手な贖罪か。否、贖罪のつもりで福島にはそれ以上に酷いことをしたのかもしれない。
「……なあ、彼はどうなるんだ?」
「そうだな……いくつか末路はあるが、どれを選ぶかはごうちゃん次第だろうな」
拒めば穏やかな終わりは来ない。あとはどこまで受け入れるかだ。
「安心しろ、どれを取ってももう一人の方に影響はない」
付け加えればそういうことではないんだがと苦笑され、そのまま通話が終わる。
「さて、どうなることやら」
背もたれに寄りかかり呟く。
日ノ本号の訪問まで、あと三日。
スタート地点がゲーム内の福ちゃんの自己認識が「自分は既に死んでいる」というところにやられた人間が書きました。求めているのに望んでない福ちゃん…
2023/06/15 pixiv初出