家に帰ると何やら騒がしくて長船光忠は首を傾げた。
「何してるの、般若くん」
 発生源は物置でどうやら弟の一人が何かを探している様子だ。別にその程度なら放っておくが、何やら鬼気迫る様に思わず声をかけてしまった。すると般若は光忠の声が届いたのかパッとこちらを振り返った。
「なぁ、光忠。アンタ、もう一人の光忠に会ったって言ったら、どうする?」
 その言葉に思わず眉を寄せる。それだけで答えに察しがついたのだろう。だよなぁと般若はため息を吐く。
「随分と笑えない冗談だね。君らしくない」
「俺だって信じたくはないさ。でもな…」
 言って般若は端末をササっと操作する。振動。メッセージに送られてきた写真を見て光忠は目を見開く。
「そいつが俺のこと、長光くんって呼んだのさ。あの場では般若で通してて、そいつの連れも俺のこと般若って呼んでるのに、妙だろ?」
 長光というのは般若の本名だ。それを教える前に知っていたことになる。
 送られた写真に写っているのは十年以上前に亡くなった光忠の兄をほんの少し大人にしたような男だった。

 * * * * *

 まず初めに大前提。僕には十七で亡くなった双子の兄がいる。これは彼についての僕が知っている話だ。
 すべての始まりは多分、僕らの父がオカルトの類に傾倒してたことなんじゃないかな。
 子供ができた、それも双子だと聞いて喜んだ父はその未来を占ったらしい。そして、出てきた結論が「その双子は不吉である」というものだった。父は散々悩んだらしい。産まれてもいない我が子の命を奪えるほどは冷血漢ではなかったし、母からの猛反発もあったらしい。
 結局、母の姉妹の福島の叔母さんに兄さんは引き取られた。でも、全部が悪かったとは思わないよ。兄さんが引き取られた先が福島の叔母さんのところだったおかけで、少なくとも生き別れってことにはならなくて済んだんだから。まあそこで二人とも光忠って名前にしちゃうとこはどうかなと思うけどね。
 え?兄さんって呼ぶのかって?そりゃあ呼ぶでしょ。二人とも光忠じゃ呼びにくいし。双子に上下なんてあってないようなもの?確かにそれはそうなんだけど、僕はそこにこだわりはないし。下にいっぱいいるんだから、上に欲しかった気持ちもあるよ。向こうは兄弟いないから、たまにはお兄ちゃん気分を味わいたかったんだろうなって思うよ。だから同じ光忠って名前でも、僕らも周りも特に困ることはなかったかな。母さんと福島の叔母さんは少し複雑だったろうけどね…
 ……うん。離れたところで暮らしていたけど、兄さんは僕らの家族だった。それで、兄さんと相談して同じ高校に進学しようって決めたんだ。反対は特になかったかな。学校でも周りからは仲良し従兄弟って思われてたよ。本当は双子なんだって言えるならいいのになって思ったりもしたよ。傍目に見れば僕らはとても良好な関係を築いていた、はずだよ。少なくとも僕は兄さんを大切に思っていた。
 ……兄さんが亡くなったのは高校二年の秋。修学旅行の時のことだ。九十九折りの坂道をバスで通っていた時、僕らの乗るバスが曲がりきれずに転落したんだ。多分、想像ついてると思うけど、クラスメイトで生き残ったのは半分くらい。兄さんは、通路側に座ってたんだけどね、僕のことを咄嗟に窓の外に押し出したんだ。右目が見えなくなったのは、その時ガラスの破片が目に刺さっちゃって。恨み……そう言うのはない、かな……だって、兄さんのおかげで僕は生き残ってるんだから……ごめん、嘘。本当はちょっとだけ恨んでる。何で僕だけ生かしたんだって。勝手だよね。
 落ちてる途中で放り出されて生徒は他にもいて、残ったみんなを助けようと引っ張り出して……でも兄さん、兄さんは倒れたバスと地面の間に挟まってしまっていて……何とかして引っ張り出そうとしたんだけど、そうこうしてる間にガソリンが引火して……兄さん、早く逃げろってそればっかりでさ……でもそんなこと言われて諦められるわけないじゃない?しょうがないな光忠はっていつもみたいに笑うけど、そんな場合じゃないのに。結局クラスメイトに引き離されたけどさ……え?ああ、右手の火傷もこの事故のものだね。火の中に残った兄さんに手を伸ばしてたから。
 ああ、うん。大丈夫。十何年も思い出さないでいたことだから、ちょっとね。うん。兄さんの話をするのは鶴さんが久しぶりだよ。家族?してない、なあ……下の子たちは兄さんのこと知らないと思うよ。小竜くんも長義くんもまだ小さかったからあんまり兄さんのこと覚えてないだろうし、謙信くんなんて産まれる前の出来事だし……小豆くんと般若くんは多分気を遣ってくれたんだと思うよ。二人も兄さんには懐いていたし。うん、だからきっと般若くんはあの兄さんとよく似た誰かに気付けたんだろうね…
 え、何?兄さんに似た誰かのこと?般若くんが行きつけのお店でよく会うお友達の、お友達だよ。ほらこの人。写りが悪いって……そりゃあ自撮りに見せかけて無理矢理隠し撮りしたらしいから……何やってるんだかって感じだよね……え?鶴さんこの人知ってるの?お店に来てた?僕全然知らないんだけど……いや、気にするなって無理でしょ…
 え?その人について思うこと?他人の空似なら特に気にならないけど……般若くんのことを紹介される前から長光くんって呼んだらしいし……もし、もしもだよ?この人が死んだはずの兄さんその人なら……やっぱり僕のこと恨んでるのか、とは気になるかな……あ、事故のことじゃないよ。そうじゃなくて、もし僕が兄さんの立場だったら、どうして自分が家族から離されたんだろうって考えるから、やっぱり兄さんもそう考えたのかなって。僕たちは両親の思惑でこう言う形になったけど、福島の家に引き取られるのはどちらでもよかったんだろうし……と言っても、単純に僕が気になるだけなんだけどね。聞いてみたくて、でもそうだと肯かれてしまうのも怖くて聞けなかったんだ。兄さんがそんな人じゃないってわかってるんだけど。

 * * * * *

「……と、いう話を光坊からされたわけなんだが」
 その辺りはどうなんだと問われて向かいに座る福島光忠(推定)は困ったように笑う。
「……光忠に何かしようとは思ってないよ?」
「ほう?」
「会うつもりもなかったわけだし」
「でも店には来るよな?」
「年に一度弟の顔を見にくるくらいは許されないかな?」
 首を傾げる福島。確かに彼はそれ以上のことをしていない。上手く個性を消した格好でやってきて、働く光忠の様子を眩しそうに見ているだけだ。鶴丸が素顔を知っているのだって、トイレで髪を直すところに居合わせたからだ。
「えっと、光忠を恨んでるか、だっけ?」
 困惑顔で思案する彼はどことなく光忠と似ていて、兄なのだと言われて納得してしまう。
「光忠が気にしてるのは暮らしぶりについてなんだよね?それならまったく恨んでなんかいないし、その言い分には馬鹿にするなってぶん殴りたくなったよ」
「おいおい何もしないんじゃなかったのか?」
 いい笑顔で言い切るものだから少し茶化して肩を竦めると真剣な顔を返された。
「だってそれは俺が生きてきた時間への侮辱だろ。両親……福島の両親が俺に与えてくれた愛情に対しても、俺が大切に思う友だちに対しても、何もなかったと言ってるのと同じだ」
 まあほんとに殴りはしないんだけどさ。言って福島は飲み物に口をつける。確かに故人への後悔を差し引いても光忠の同情は随分と傲慢だ。
「もう一度確認だが、光坊に用があるわけじゃないんだな」
「そうだね。光忠は元気でいてくれるのを確かめたならそれでいいよ」
「なら一体、あんたは何のためにこんなことをしてる?」
 すっと福島から表情が消える。
「……光忠の近くには、鶴がいるから気をつけろって」
「ん?」
「俺の願いを叶えてくれた人が教えてくれた。貴方のことなんだろ?」
「……君、もしかして…」
 脳裏に浮かんだ可能性を口にする前に彼はにこりと笑う。
「俺は秘密を暴かれたら壊れてしまうんだって。そして貴方は暴ける人だと聞いている。なら、俺は貴方の問いに答えるつもりはないよ」
 話は終いだ。そう言って福島は金を置いて席を立つ。
「……なんだ、随分お前らしくない遊びじゃないか」
 驚きだぜ、鶯。乾いた笑いと共にこぼれた言葉は誰の耳に届くこともなく空気に溶けた。

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