菊へ
この手紙が正しくお前に届いていることを願いながら、この手紙を書いている。
まずはすまなかった。お前には謝っても謝り足りないくらいのことをしてきた。
あの晩おでん様を追って海へ出たことを悔いたことはない。あの方一人を行かせることは何度考えてもありえない。
けれどそれでお前に何か悲しさや寂しさがあったなら、それは別の話だ。本当に申し訳ないことをした。
おでん様と別れて海に残ったことも、申し訳なく思う。
おでん様の言伝に従ったわけではなく、おれはおれの意志であの船に残ると決めた。お前がそれでやはり悲しさや寂しさを感じていたらとは何度も考えたが、あの時おれはどうしてもあの船を離れ難かったのだ。
今日までの日々に辛いこと悲しいことは多かっただろう。きっと、おれの想像も及ばぬほどに。その日々に一切より添えなくてすまない。
お前から赦されたくて書き連ねたわけではない。これはただ、おれがお前に言わねばならぬと思うことを勝手に並べただけだ。
ワノ国の文字など何年振りに書いただろうか。おでん様と別れて以降は見ることすらも減っている。子供の手習のような下手な字で読みにくかったら悪い。
故郷の字すらもはや覚束ないような不甲斐ない男だが、おれとお前の繋がりは絶えていないだろうか。
勝手ばかりを通して生きた男だが、もしもお前がおれをまだ兄と呼んでくれるなら、それは何より、誇らしい。
どうか、息災で。お前の日々が幸多きものであることを祈っている。

イゾウ

消えた悲鳴を拾い上げる

「お前宛のものだ」
 端の煤けた紙束を錦えもんから渡された。開いてみればそれは兄からの手紙だった。
 以前は流れるように綴られていたが、全体的に拙い手だった。こんなところにも、過ごした時間の差を感じる。
 内容は大方の予想通りで、菊之丞はそれを丁寧に畳むと胸元へと仕舞った。

 兄は菊之丞にとってどこまでもやさしい人だった。
 朧げな記憶は雪の中。扇を手に真剣に舞う兄の横で菊之丞は拙い三味線を弾いていた。なんとか稼いだ金で得た僅かな食べ物のほとんどを菊之丞に押し付けて、兄は様々な芸を見せる。
 おでんの元に押しかけ家臣となってからも、急ぎの時は必ず兄が菊之丞を背負って駆けていた。置いていくことも、誰かに頼むこともせず、兄はただ菊之丞を背負って、菊之丞を守って戦っていた。
 侍として勉学に励み始めてからも、良くできれば褒めて、足りなければ支えてくれた。アシュラなどは甘いと言っていたが、兄は変えなかったし、菊之丞は兄が構ってくれることが嬉しかった。

 しあわせな思い出は、ふつりと切れる。
 何故、なのだろう。何故兄は死ななければならなかったのだろう。
 あの時現れた兄は最後に生きろと言っていた。当然、戦いが終われば生きてまた会えるものだと思っていた。
 やさしい思い出の日々。楽ではないが充実していた日々。決死の覚悟で討ち入りを決行した夜。兄がこの国に現れてくれて、どれだけ心強かったか。どれだけ、嬉しかったか。再び会えるなんて、微塵も考えていなかった。
 兄は変わらずどこまでも菊之丞を気遣ってくれた。立派になったと褒めてくれ、よくやったと認めてくれた。海で持ち替えたのであろう得物は変わっていたが、その立ち回りはずっと一緒に鍛錬をしてきたように周りに馴染んでいた。カイドウに腕を落とされた時に、猛攻は続くのに真っ先に駆け寄って止血してくれたのは、ありがたかったがどうかと思うけれど。そして最後、諦めていた自分に向けて生きろ、と言って敵を引きつけてくれた。
 それなのに。

 息を深く吐き出す。
 何故、兄が戻ったのがあの晩だったのだろう。
 せめてもう一晩早ければ、ゆっくり話もできた。
 逆にもう一晩遅ければ、兄には悪いがすべてが終わったワノ国で、兄の帰りを喜ぶことができた。
 けれど現実は討ち入りの最中の再会で。話す暇もなく。兄は逝ってしまい。残されたのは手紙が一通。
 まるで、兄の帰国など都合の良い幻覚のように思う。けれど遺された手紙がそれを許さない。
「……ずるいです、お兄様」
 主君の元を離れる時にも手紙の一つどころか言伝ひとつも寄越さなかったくせに。助けてほしい時にはどれほど呼んでもきてくれなかったくせに。
 それなのに命を賭けた大戦にはしれっと戻って。そうして懐かしむ間もなく逝ってしまうなんて。残ったのは手紙だけなんて。
 なんて、ずるい人。

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