「光忠!!」
 廊下を全力疾走する福島を日本号も全速力で追いかける。
 織田の連中との話が途中だっただなんて、頭から完全に抜け落ちた。ただ確実に何かの誤解をしている福島ときちんと話す必要があった。
 追いかけっこはつかず離れず。機動にそれなりに差があるのによく逃げている。けれどそろそろ終わりにしたい。
 と、向こうから日光一文字が歩いてくる。そういえばここが備前刀の居室棟であることを思い出す。こちらに気付くと何か物言いたげな顔をする。正直使いたくない手ではあるが、背に腹はかえられない。
「日光!そいつ捕まえてくれ!」
「号ちゃん!?それは卑怯じゃないかな!」
 振り向いて抗議する福島。前方不注意だ。ドンとぶつかった先には日光一文字がいる。日本号が頼んだからだろうか。日光はそのまま福島を拘束する。
「離してくれ、日光くん!俺は今すぐ主のところに…」
 その言葉に日本号の頭の中のどこかが切れた。福島を取り押さえている日光に大股で近付くと、引き剥がして俵のように担ぐ。礼を告げて背を向けると日光が頷いた気配がする。
「とりあえず俺の部屋でいいな」
「……いいよ」
 唸るように問えば抵抗を諦めた福島が大人しく従う。
 ねえ号ちゃん。降ってきた声に足を止めて応じると、歩きながらでいいよと促された。
「……実休兄さん、やっぱり鬱陶しかったのかな」
 ああ、やはりそこを切り取ったのか。それであれほど取り乱して逃げ出すのか。自分ではなく、審神者の元へ。苦い気持ちを噛み締め、日本号は答えずに歩を進める。
 ぽつり。ぽつり。福島が続ける。

 号ちゃん、あのね、実休兄さんってほんとはあんなんじゃなかったんだ。
 ああ、別にそれが嫌なんじゃないんだ。
 今の実休兄さんのことだってやっぱりちゃんと実休兄さんだって思うよ。
 でも俺、時々、胸が苦しくってさ。
 心臓をキリキリって締め上げられてるみたいな感じがしてさ。
 戦場を走った後よりずっと息が苦しくてさ。
 苦しくって、どうにかしたくて。

「色々頑張ったんだけど、いらないことだったのかなあ…」
「……つーかお前何やってたんだよ」
 思えば自分は福島が何をしていたのかまったく知らない。実休のために何かをしていた。それだけだ。それなのに互いに嫌われていると思い込んでいるなんて。まったくもって笑えない。
 折よく部屋に着いたので福島を下ろして座る。福島は少しだけ逡巡した後、日本号の膝の間に座った。顔が見えない不満を込めて旋毛に顎を乗せると、痛いよと小さく笑った。なんだかとても久しぶりに聞いた声音だ。抱えるように腕を前で組む。
「……どこから言えばいいのかな」
「どこでもいい。言いたいこと言え」
 日本号の言葉に福島は少し考える。それから深呼吸を、ひとつ。
「……今しかないって、どんな感じなんだろう」
「ん?」
「昔の記憶は朧気で、昨日も上手く思い出せなくて、未来の約束も消えちゃうのって、どんな感じなんだろう。俺はそれを自分がそうならって考えたら、とても恐ろしくなったんだ」
「……実休のことか?」
 顎を乗せていた頭が動く。姿勢を直しながら考える。先程の織田の連中とのやり取りから察するに……
「実休兄さんは、記憶が定着しないんだ」
 答えはするりと福島の口から出た。それから何故か可笑しそうに笑った。
「んだよ、そこ笑うところか?」
「ううん。そうじゃないよ。ただ、こんな簡単に口に出せる自分がおかしくて。俺、このことだけはずっと誰にも言わないって決めて飲み込み続けてたんだ。それがこんなに簡単に言えちゃうなんてな」
 くすくすと笑う福島を見るのは久しぶりだ。そういえばずっとどこか張り詰めた顔ばかりしていた。笑いが落ち着いた福島は説明を続ける。
「時間にすると半日くらいかな。朝一番にあったことは夕飯時には忘れてしまう……夕飯時より短いかは、流石に怖くて試せなかった」
「……ああ、ありゃそういう意味かよ…」
 実休に見せられた手紙に書いてあったおねだりの意図が見えて一瞬ほっとする。が、すぐに思い直す。夕飯時には覚えてないと言い切るということは、それより後の時間を指定した小さな約束は誰にも知られず破られたのだ。回した腕につい力を入れてしまう。その腕を福島が安心させるように撫でる。
「朝に交わした約束を夕方には忘れてしまう。もしかしたらもっと前に消えてるかもしれない。もし実休兄さんが覚えていられないことが原因で諍いになるのは嫌だって主に伝えたんだ。そしたら、主がノートを渡してくれて。それにメモを取らせることにした」
「……メモ見るの忘れたら意味ねぇから、お前が声かけてたったことか」
「さすが。号ちゃんにはお見通しなんだな。ついでにメモ取るの忘れないようにもさせてたよ」
 するすると解かれていく、ここ最近の不可解な行動。言葉にすればあまりにもあっさりとしていて拍子抜けなくらいだ。
「それならそう言ってくれりゃいいものを」
 そうすれば自分もそこまで気にしなかったはずだ。けれど日本号の言葉に福島は身を固くする。
「……実は何度も言おうと思ったんだ。苦しくて、ぐちゃぐちゃで、号ちゃんなら、これを受け止めてくれるんじゃないかって、思ったよ」
「なら」
「でも、言えなかった。俺が苦しいことより、実休がそうなってしまうことの方が耐えられなかった……怖かったんだ」
 腕の中の福島が小さく震える。強く服を握る手にそっと手を重ねる。冷えたその手は福島の不安を如実に表している。
「……そうなるってのはどういう意味だ?」
「言葉通りさ。あの記憶の不安定さが刀剣男士として元々設定されたものか、それともこの本丸の実休固有のものか判断がつかなかった。こういう言い方をすると号ちゃんは怒るかもしれないけど、俺も実休も割と不安定なんだ。そうだと認識してくれる相手が多いほど存在は安定する」
「本当は違うのに大勢が認識したことで記憶が保たない方で定着するかもしれない、か」
 福島が頷く。実際のところどうなのかは知らない。日本号はその手の不安を抱いたことがない。強い逸話の存在しない福島の抱く不安は正しく汲み取ってやれないのかもしれない。ぐっと福島の身を引き寄せる。
「お前さっき、実休に疎まれてないか心配してたよな」
「うん!?まあ、した、かもね…」
 少し話を変えようと、先ほど廊下でこぼしていた言葉を拾う。すると目に見えて狼狽えて身を離そうとするものだからおかしい。
「あれな、向こうも同じ心配してたぞ」
「え?なんで?」
 教えてやれば心底不可解といった顔をする。俺が嫌うわけないのにと言いたげな顔に喉の奥で笑う。
「お前、何で直接花渡してやんなかったんだ?」
 皆まで説明された訳ではないだろうが、福島に嫌われていると実休が判断したのはこの辺りが理由だろう。問うと福島はああそれ、と沈鬱な顔になる。
「……あのね、俺、多少のことではめげないけどさ、毎日花渡して、毎日それを忘れられるってなったら、流石にきついよ」
「お前…」
「最初に気付いたのだって、花を贈ったことを忘れられたからなんだ。ものすごく喜んで、部屋のどこに飾ったらいいか真剣に考えてくれて……それなのにその晩、これは誰からだか知ってる?って聞いてきてさ。咄嗟にサプライズだってことにしたけど、なんか、すごく悲しくて、苦しくてさ。主のところに向かいながら、考えたんだよね。もしかして実休兄さんに花渡す度に、これ繰り返すのか、って。そう思ったらなんか涙が止まらなくって」
 離れた体を再び抱き込む。それから織田の連中と話をしていた時からの疑問を投げかける。
「でもお前、花贈るのはやめなかったんだな」
「そりゃあ、大切な相手には花を贈りたいからね」
 それが刀剣男士の福島光忠おれだから。伝わらなくても、届かなくても、祈りをこめて。そう微笑まれてしまえば返す言葉はない。
「手紙までつけて随分手間が掛かってるな」
「手紙の目的なんて、号ちゃんもうわかってるだろ」
「お前、何でそこまでするんだよ」
 問うと福島はまた思案げに言葉を止める。
「……俺さ、号ちゃんともう離れたくないって思うのもちゃんと本気だけど、それはそれとして号ちゃんが他の誰かを選ぶなら譲れるつもりなんだけど」
「いや、そこ譲るなよ」
 咄嗟に挟んだツッコミに福島が苦笑する。それでもそのまま話を続ける。
「実休兄さんが望まない形で損なわれるのは、どうしても嫌みたいなんだ」
「……そうかよ」
 それだけのために福島は心を切り売りするような真似をしていたというのか。しかもおそらく審神者以外には概要さえ掴ませずに。
「……なんか腹立ってきた」
「え?」
「お前な、この正三位のだいじなモンを兄貴だからって傷つけて平気な顔してるんだぞ」
「え、別にいいよ、俺なら平気だし」
「平気じゃねえからお前そんな苦しかったんだろうが!」
 殴り込みに行くかと腰を上げた、その時だった。
――ピンポンパンポン
 どこか気の抜ける音が室内に響く。本丸全体への周知事項があるときに審神者が使う館内放送だ。
――刀剣男士の呼び出しをします。燭台切光忠さん、福島光忠さん、実休光忠さん。以上三振りに審神者から話があります。逃げずに審神者執務棟まで来て下さい。繰り返します……
 放送を聞いた瞬間の福島の動きは早かった。勢い良く立ち上がると室外に逃げようと足を踏み出す。……が、その動作は次の一歩を踏み出す前に止まる。
 日本号がその足を掴んで自分の方へ引いていたからだ。
 振り向いた福島が真剣な顔と声音で言う。
「……離してくれ号ちゃん」
「いやお前何逃げてんだよ」
「だってきっと悪い話だ!」
 何を頑なに思い込んでいるのか。聞いてみるまではわからないだろうに。
「往生際が悪ぃんだよ!」
 足を掴む手を強く引く。咄嗟に受け身を取りはしたが福島が床に転がる。
「おら!諦めて主んとこ行くぞ!」
 福島が起き上がる前に抱えて肩に担ぐ。またこれかと思わなくはないが仕方なく審神者の執務室に向かう。
 館内放送があったせいか、ぎゃんぎゃん喚く福島を見ても誰も何も言わなかった。

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