レプリカドロップ
襖の閉まる音で意識が浮上する。
部屋に入ってきた気配はずんずんと奥へ向かい今度は少し乱暴に押し入れを開ける。ゴソゴソと何かをする音がして、それも止む。そうして初めて実休は瞼を上げ、体を起こす。
押入れの下段に入れた敷布団の間から兄弟刀の足が生えていた。
ああ、またか。深くため息を吐くと実休は押入れの脇に立った。
「何してるの、福島」
「……福島光忠は閉店しました」
「何それ…」
意味のわからない返答は無視して押入れから引きずり出す。意外にもすんなりと抜けたことに驚くが、直後ごとんと音を立てて頭が落ちて少しだけ慌てる。無抵抗ではなく抵抗する気力もないのか。これは、本当に不味い状態かもしれない。この状態の福島を動かせる言葉はひどく限られている。
「燭台切が戻ってきたら呆れられるよ」
その言葉に福島がのそのそと動き、壁際で三角座りをして俯く。押入れを閉めようとするが体半分押入れに入った福島が挟まって全部は閉まらない。燭台切への見栄が残っていてよかった。多分まだこの状態の福島をみたことがないはずだから、余計な心配をかけてしまう。それに、原因が推察できる以上、これ以外の言葉は思い付かない。内心ほっとする。
「また号ちゃんくんかい?」
尋ねるとぴくりと肩が跳ねる。わかりやすいなと苦笑する。
「……実休」
俯いたまま福島が呼ぶ。
「何?」
問うと視線だけこちらに向ける。その目が実休を捉えると少しだけ眉が寄る。
「寝てたとこ起こしといて悪いけど、ちょっと外出ててくんない?」
「ん?」
「……悪い。勝手言ってるのはわかってる。ごめんよ」
何度も謝罪の言葉を繰り返しながら、今度こそ何も聞きたくないというように頭を抱えてしまった。そんなことをされたら、他に選択肢はなかった。
「……わかった。いいよ」
押入れから離れて部屋を出る。遠ざかる気配に少しだけ安心したのか、実休に聞こえるか聞こえないかくらいの本当に小さな声で福島は呟いた。
「……本当にひとりきりになれたら、誰も困らないのになぁ…」
それはきっと誰にも届いてほしくない言葉。もしかしたらそのまま聞き流してほしかったであろう言葉だった。どちらだとしても福島にとって実休がここからいなくなるのが最善なのだろう。
部屋を出ようとした足を一度止めて、再び動かす。
――もしそれが誰に向けた言葉でなくても、僕は聞き逃してなんてやらない。僕はお前のそれを聞かなかったことにするつもりなんてさらさらないよ。
実休はそっと福島の横にしゃがむ。
「福島はひとりになりたいの?」
出て行ったはずの相手がいきなり近くでそんなことを聞いてきたことに驚いたのか、福島が勢いよく顔を上げる。見開いた目からつぅ、と涙が流れる。
「……どうだろ……自分でもよくわからないよ」
それからまた顔を突っ伏して肩を震わせる。
――僕は多分、ここを離れるべきじゃない。だってお前はこんなにも誰かを求めてるじゃないか。
誰か、なんて曖昧な存在ではない。唯一確かに求めている存在。それ以外から差し伸べられる手を振り払って、けれどそれに縋りたくなってしまって。
――彼にはしっかりしてもらわないと。
福島が抱える物語に関わる者はこの本丸にはいないわけではないだろうが、皆とても薄い縁だ。唯一、と言って過言でないほどの濃さを持つのが正三位の槍。勝手とは思うがやはりあの槍との関係が福島を安定させる。
だから今は少し強引な手を使う。
「福島、顔を上げて」
「なに、じっきゅ……ぅむ!?」
気怠げに上げた顔の顎を掬い上げて口付ける。舌を絡めて、唾液と一緒に自身の神気を送り込む。
口を離せば頬を上気させ潤んだ瞳で睨みつけてくる。
「落ち着いたら、もう一度会いに行けばいい」
きっとうまくいくから。そう告げればキッと目元が鋭くなる。
「……お前に何がわかるんだよ」
「お前が思うほど悪くはならないことはわかるよ」
実休の言葉に福島は何か返そうと口を開いて閉じた。
「大丈夫。もし悪い方に転がっても、僕が何とかするから」
いってらっしゃい。引っ張り上げて立たせ、背中を押して押し出すと福島は舌打ちをひとつして振り返ることなく部屋を出ていく。
「福島の欠けを過不足なく補ってやれるのは、君だけなんだから。もっとしっかりしてもらわないと」
ねぇ、正三位殿。呟いてうっそりと笑う。
「……でないと、僕がもらってしまうよ」
光忠が一振りであることは揺らがない。物語の主軸を福島家からそちらに移すだけのこと。
その囁きは誰に聞かれることもなく、空気に溶けた。
* * * * *
「そんなわけでもうちょっと日本号に必死になってもらいたいんだけど」 「何がそんなわけなのかさっぱりわからないけれど、日本号さんを福島さんから引き離したいってことで合ってるかい?」 当然のようにに言い切った実休に燭台切が確認する。実休は違うと首を振る。 「働きかけたいのはあくまで福島の方だよ。そろそろここで誰かのいちばんであることを欲しがっていいと思うし、おあつらえ向きに日本号はあいつを一番だって言ってきてる。なのに当の本刃がそれを諦めてる」 「ああ、そういう話……確かに福島さん、自分には代わりがいるって思ってる節があるよね」 燭台切も納得したようだ。それから少し考える。 「でも、それって少し難しいね。福島さんにとって日本号さんの代わりはいないけど、日本号さんはそうじゃないって思い込んでる節があるから」 「だからあの正三位殿の尻を蹴り上げるにはどうしたらいいかって相談なんだよ」 「……もしかして実休さん、少し怒ってる?」 にこりと微笑む実休に燭台切はため息を吐く。自分が見ていないところで三者に何があったのか。考えたくないが巻き込まれてしまった以上仕方ない。 「別にね、正三位殿が福島を引き留められなくて実のところは問題がないんだ」 「え?」 「福島光忠は福島の家の刀であるからその縁が強いのは確かだけれど、光忠でもあることも事実だからやろうと思えば僕らで囲い込んでしまえばそれでいいんだ。まあこれはお前にも言える話だけれど」 「ちょっと、いきなり怖い話しないでほしいな」 「お前に関しては問題ないと思ってるよ。だからあいつもお前を光忠と呼んでお前を楔にしようとしているのだろうし」 「何それ、僕そんなの聞いてないんだけど」 「でもそれがだからこれからやろうとしてることにお前を誘っているわけなんだけど」 「これからやろうとしてること?」 胡乱な目を向ける燭台切に実休の笑顔は崩れない。会話のはじめから漂っていた面倒ごとの気配が一気に濃くなる。 「もう正三位殿に任せるのはやめて、僕らで福島を囲い込んでしまおうと思って」 あっさりとされた宣言に眩暈がする。それでも。 「囲い込むって、具体的にどうするの?」 「特別なことは何も。僕たちにとって福島がかけがえのない兄弟であることを示して、大切に大切にしてやるだけだよ」 「それ、どんなんだろう……福島さんが素直に受け取ると思えないんだけど」 「それはもちろん福島が受け入れるまで続けるだけだよ」 「日本号さんも気付いたら当然福島さんにアプローチかけると思うんだけど」 「そこは受けて立てばいい。それに大目的は福島が自分を誰かのいちばんに据えることなんだし、日本号でそれが満たされるならそれはそれでいい