おでん様が、亡くなった。
 その処刑はワノ国で伝説になったのだそうだ。
 釜茹でにされながら一時間もの間耐え切ったという。流石に誇張だろうと思う自分と、あの主君ならそのくらいやってのけるだろうなと思っている自分がいる。
 いずれにせよ、とても現実味の薄い話だ。

喜劇も悲劇もたいして変わらない。
主観的か客観的か ただそれだけ

「そうかって、お前……それだけかよい!」
 マルコが憤りをぶつけてくる。胸ぐらを掴まれても心は凪いだままで、ただ見つめ返していると諦めたように手を離す。気遣わしげにこちらを見てくる視線が煩わしくて部屋に戻る。
 光月おでんが死んだ。ワノ国はカイドウの手に落ちた。
 白ひげ海賊団にもたらされたワノ国についての情報のどちらもイゾウには現実のものとは思えなかった。
 十年近く思い出さなかった故郷を思う。
 破天荒な主君と振り回されてはいつも騒いでいた同心たち――そう思っているのはもうこちらだけかもしれないが。賑やかな日々だった。楽しい日々だった。無茶苦茶をするおでんを止めようと騒ぎ回ったり(大抵は止まらなかったが)、大変だと騒ぐ同心たちをうるさいとおでんが止めたり(全員拳骨で黙らされた後、解決してくれた)。
 ここでも毎日似たようなことは今もしているのに、やはりどこか違う。そのことをどうしても懐かしく思ってしまう。
 ぼんやりと天井を眺めて、懐かしい顔を順繰りに思い返す。
 手放したのは自分であるのに、未練がましい。

 夕飯時。こんな時でも腹は減るもので、食わねば死んでしまう。食堂へ顔を出したらサッチが少し驚いた顔をしていた。トレーを受け取るとそこには一つづつ具材の乗ったおでんが添えられていた。
「おれからのおまけだ」
 まじまじと見つめているとそう言われる。気を遣わせてしまったらしい。礼を言って隅の席に座る。
 食わねば、生きられぬ。
 そんなことは重々承知しているはずなのに、どうにも箸が進まない。のろのろと食べ進めるがどうしてもおでんだけは手がつけられない。
 がんもどき。大根。ごぼう巻き。たまご。牛すじ。巾着餅。しらたき。かまぼこに手羽肉。
 皆好きだった。己の好物は取り合いだった。菊之丞相手であろうとがんもどきだけは譲れなかったし、菊之丞だってしらたきは譲らなかった。
 喜び勇んで口に入れては熱いと騒ぐネコマムシ。それを囃し立てる者。笑って見守る者。我関せずと食べる者。そういえばよく笠を被ったまま首を突っ込んでいた河松の笠を押さえてやっていた。
「食わないのか」
 不意にかけられた声にはっと顔を上げる。見ればそこには罰の悪そうな顔をしたサッチがいた。
「……こんなところにいていいのか?」
「山場は過ぎたからいいよ」
 向かいに座るサッチの言葉に辺りを見ればあれだけ賑わっていた食堂に人の姿は疎らだった。それだけ呆けていたというのか。
「このままここで飲んでくか?」
 酒瓶を翳したサッチにゆるく首を降る。今は一人になりたい気分だ。
「部屋にいい酒があるんだ。そいつと一緒にどっかで飲むよ」
 食器は後で返す。言い残して席を立とうとすると引き止められた。もっと運びやすい器があるからそっちに移す、ついでに温めるからちょっと待て。普段そんな細やかなことをしないくせになんなんのだ。力が抜けてしまい待つ間に酒だけ取ってくると伝えて、イゾウは食堂を後にした。

 酒を持って歩いた廊下の窓から見えた月が綺麗だった。
 場所によって月の見え方が違うと知ったのは海に出てからで、気候と位置によって変わると教えられた。以来何となく月を見比べるようになっていた。けれど故郷とよく似た月はどこにもない。春の朧月も秋の冴えた月も、近くはあってもやはりどこかちがっていた。
 けれどその日、窓から見えた月はかつて九厘で見た月とよく似ていた。弾かれたように外へ出る。どこなら見えるだろうか。追いかけてやってきたのは船尾。遮るものもなく煌々と照る月はいつかとよく似た満月だった。
 月の下で煮込まれたおでん。がんもどきの食感に心打たれた、あの日の月だ。
 がんもどき。大根。ごぼう巻き。たまご。牛すじ。巾着餅。しらたき。かまぼこに手羽肉。入ってはいなかったけれど、ロールキャベツ。
 錦えもん。雷ぞう。河松。傳ジロー。アシュラ。菊。ネコマムシにイヌアラシ。そしてカン十郎。全部まとめて、おでん。
 先程のおでんのタネとそれを好んだ同心たち、そしてすべてを愛していた主君を思う。
 うるさかったけれど一番まとめ役をこなしていた錦えもん。
 不思議な妖術でさまざまなことをこなしてくれていた雷ぞう。
 生き延びるために自身を河童だと言い張っていた河松。
 金勘定が得意でいつも金の話をおでんにしていた傳ジロー。
 どこか掴み所がなくて困ることもあったけれど色々気遣ってくれたカン十郎。
 一歩離れて、こちらに関心などないように振る舞いながら困れば助けてくれたアシュラ。
 いつも陽気で場を和ませるネコマムシとイヌアラシ。一緒に船に乗ってくれて安心した。
 ずっと一緒にいた、誰よりも大切な弟。菊之丞。
 壁にもたれてズルズルと座り込む。
 処刑の後、家臣の皆の行方は伝わっていない。無事でいるだろうか。誰か一人でもいい、どうか生きていてほしい。

――帰らなくては

 ふと、心に浮かぶ。主君が討たれ故国が危機に瀕しているのに、己は何をしているのか。すぐにでも立ち上がるべきではないのか。すぐにでも白ひげに掛け合って。
 腰を浮かしかけて思い直す。今は深夜だ。夜番を除けばもうほとんどが寝静まっている。話すのは朝になってからでいい。
 自分も一度寝た方がいいかもしれない。疲れた頭でぐちゃぐちゃと考えてもきっとろくな答えは出ない。
 立ち上がり、ぐっと背伸びをして三歩。壁の陰から強い光が差し込む。咄嗟のことで直視してしまい、足元がよろける。体を支えようと船縁に手をついた、はずだった。
「……お?」
 手をついた先には何もない。体重をかけようとしていた分、体は勢いよく船の向こうへ落ちていく。能力者じゃなくてよかったな、なんて暢気なことを考える。
 ドボン!!
 水に落ちる間際に見たのは目を剥いて何事かを叫ぶ近くにいた奴と、昇ってきた朝日だった。

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