「……黒炭が将軍、か…」
「それがどうかしたのか?」
ぽつんとこぼしたイゾウにエースが首を傾げる。イゾウは一拍何かを考えた後、大したことではないと返した。この時点でマルコにはこれが彼の何か琴線に触れることであると察する。
ワノ国でおでんの代わりに将軍になった男。拾える情報はそれくらいだ。だが、それ自体が触れたわけではないのだろう。
なおも言い募るエースに折れたのかイゾウが深くため息を吐いた。
「黒炭ってのはワノ国にとって大罪人の家系なんだよ」
「大罪人?」
「そんな奴がどうやってショーグンになったんだよ」
「そこが不思議なんだよ」
心底不思議そうに腕を組み、イゾウは言う。
「エースの言った黒炭オロチと同一人物かって聞かれると断定はできんが、おでん様にお仕えしていた頃にオロチという男には何度か会ったことはある」
「え、マジ?」
「と言っても他所の大名家に奉公人として仕えてたのと、おでん様に何度も金を借りに来てたことくらいしか覚えてねえが、はっきり言ってありゃ小物だ」
「そんなのがどうやっておでんを押し退けたんだよい」
「だからおれもそこがわからねえんだよ。おでん様を押し退ける以前に名乗れば袋叩きにあうだろうに……黒炭であることを隠していたにしてもどうやって将軍家に近付いた?いくら破天荒でもおでん様は光月の世継ぎだ。それをひっくり返せるだけの人望でもあったのか…」
ここであれこれ悩んでも仕方のない話題に頭を悩ます。それは侍としてのイゾウだった。マルコは溜息を吐く。
「お前が反応した黒炭ってのは結局何なんだよい」
完全に切り離せはしないが少しだけでも引き戻そうと、マルコは声をかける。イゾウは数回瞬きをして答える。
「ワノ国の大罪人の一族だ」
「一族?そのオロチってやつは何かしたのか?」
「オロチ本人は大したことはしてない、はずだ」
おでんの件を別にすれば。言外に言った言葉には反応せずにおく。歯切れの悪い物言いが彼らしくない。
「じゃあ誰が何したんだよ」
「……実はおれもあまり詳しくはない。何せおれどころかおでん様が生まれる前の出来事だ。幼い頃母に黒炭には近付いてはならないと固く言い含められたから覚えていた程度のことだ」
「で、何したんだよ」
エースがだいぶ苛立っている。イゾウの様子は言葉を探るというより記憶を辿るという方が近いだろう。
「……他の大名を殺して自分が将軍になろうとした?」
「なんだそりゃ」
「だからおれだって本当に何も知らねえんだよ。スキヤキ様……おでん様のお父上が生まれたあたりに起きたゴタゴタで、企てた奴が腹切って、お家取り潰しになってるから離散はしてるが、黒炭に関わるなって話だけ聞かされてんだ」
これ以上は知らん。そう言って打ち切られたが、どうにも腑に落ちない。そんな身分の奴がどうやってワノ国の頂点に立つことになったのか。イゾウから断片的に聞いた限りだが、おでんはワノ国の正統な後継者だったのだ。出奔したとはいえそう簡単にひっくり返るものではないだろう。
「……なあ、ワノ国ってのは罪人の子孫はそんな扱いなのか?」
途中からやけに大人しかったエースが問う。イゾウがまた少し考える。今度は侍の顔ではないが普段の彼とも違った。何に対してかわからないが、何故か背筋を冷たいものが走る。
「……まあ、程度の差はあれそういうとこはあったろうな」
「んなこと!」
「少なくともお家は取り潰し、一家離散くらいはそこそこある話だろうな」
その言葉にマルコは息を飲む。そう言ったイゾウはひどく冷めた目でどこか遠くを見ていた。憤るエースを抑えて続きを待つ。けれどイゾウはゆっくり一度瞬きをしただけだった。
「……イゾウ」
「ん?ああすまねぇ。ちぃと昔のことを思い出しちまっただけだ。おれから言える話は終いだな。教えてくれてありがとな、エース。黒炭については考える必要があるが、まあそいつは追々でいいだろう」
からりと笑った顔はいつもの彼で内心安堵する。知らなかったとはいえ、安易に触れるべきではなかった。一連の話の何が琴線に触れたかはマルコにはわからない。けれど確かにあれは、イゾウ抱える傷なのだ。
報われずとも幸せですか
「それにしても、黒炭オロチに子はいるのかねえ…」
それは唐突な呟きだった。ワノ国の名前にはイマイチ馴染みがないが、黒炭オロチというのは確か、おでんを陥れて殺した張本人ではないか。何故、そいつに子供がいるかを心配するのか。その理由がまったく分からない。
「何でそんなこと気にするんだよい」
「ん?ああだってオロチに子供がいてくれなきゃ、おれたちの恨みは一代きりで終いになっちまうじゃないか」
「ん?」
「おれや同心たちの恨みをきっちり受けてもらうにはやっぱりしっかり血は絶やさないようにしてもらわねぇとなぁ…」
「んんん?」
「しっかし使い古された言葉だと思ってたが、末代まで祟ってやりたい相手ってのはできるもんなんだなぁ」
クククと気味の悪い笑いを浮かべながら、当然のことのようにイゾウは言うがさっぱりわからない。
「え、お前オロチってやつの一族に生きてもらいたいのか死んでもらいたいのかどっちなんだよい?」
「どんな大厄があっても世継ぎは絶えずに、死なない程度の苦しみを味わい続ける生涯を何代も重ねてもらいたい」
「怖すぎるだろいっ!!」
思わず叫んだマルコの声が甲板に響く。なんだか恐ろしげな話だし早々に打ち切りたかったがそうもいかなかった。なんだなんだと周りが寄ってきて、挙句白ひげまで興味を持ってしまった。仕方なく一連の話をイゾウにさせる。
「「「怖っ!!」」」
結果、マルコと同様に全員が叫んだ。叫びながら皆イゾウから一歩離れた。普段鷹揚な白ひげも流石にこれには引いていた。その中心でイゾウ一人がきょとんと首を傾げる。何をそんなに驚いているのかわからないところがこの執念を当然のことと本心から思っている証拠としか思えない。
「ワノ国ってそんな恐ろしいとこなのか」
「つまり殺しはしねぇけど幸せにもさせねぇってことだよな…」
「それを何十年、いや、話の雰囲気的に何百年もあるぞ…」
「恨み長続きしすぎだろ」
ワノ国の恨みに恐れ慄いていた船員の一人がふと、気付くべきではないことに気付く。
「おい、結果的におでんのこと攫ったおれらって…」
「ん?おでん様の件はおでん様のしたことだから誰も恨んじゃいないだろう。あの方はずっと海に出たいと騒いでたから、ついに決行しちまったくらいだったんじゃねぇか?あっちのことはおれは知らんが」
あっさりと否定されて胸を撫で下ろす。不穏な言葉は聞かなかったことにする。が、その直後にまあおれ自身はあの時の仕打ちは許さねぇけどなと続いて白ひげにダメージが入る。
お前、あれは仕方ねぇことだともうわかってるんじゃなかったのかよい。藪蛇になりそうだからマルコは黙っておく。そういえばイゾウは笑って許したはずのことを後からさらっと突いてくる。それも何気ない会話に混ぜてあくまで責めてはいないという体で。あれもこの心理なのか。
家族の知らなかった、できれば知りたくはなかった一面を知ってしまった白ひげ海賊団の面々はイゾウの恨みだけは買うまいと心に誓った。