ネコマムシが現れた時胸に浮かんだのは、再会の喜びと等しく、やはり連れて行かれるのか、という思いだった。
マルコは今でも忘れない。長い付き合いの家族が、密かにしていた嘆願。その時胸を襲った焦燥感を。
とうに過ぎた季節を いつまで偽ればいいのですか
それは、おでんの訃報が届いてしばらく経った頃のこと。
用事があって白ひげの部屋行けば中から彼の人の声が聞こえた。来客中なら出直すかと踵を返そうとしたところで、相手の答えが聞こえた。その声にぴたりと足が止まる。
「別に、最初の一件以外恨んじゃいないし、アレだってケジメとして必要なことだったって今はわかってるさ」
中にいるのはイゾウ。そしておそらく話題はおでんについて。そんなことまで容易に想像できる。なんだか、胸がざわつく。
「仇討ち、とは考えねぇのか」
「考えねえでもないが、どれだけ考えたっておれ一人で行ったところで無駄死にするのがオチだ。オヤジの息子として、それはできねえよ」
冷や水でも浴びせられたような心地だ。おでんが死んで、イヌネコや他の仲間の安否もわからない。悔しいだろうなとその程度しかマルコには察することはできずにいた。それがまさか、故郷に一人乗り込んで仇討ちを考えていたとは。最近鳴りを潜めていたが、そういえばイゾウは冷静そうに見えてなかなか苛烈な性格をしていた。感情が振り切ってしまえばそのくらいやるだろう。
「グララララ。一人で飛び出してかねぇくらいには頭は冷えてるか……いや、逆か」
「ああ。この上なく頭ン中は煮立ってるが、確実に仕留められねえのがわかってるから何とか堪えてるだけだ」
「……そうか」
立ち聞きは良くない。そう思うが体は縫い付けられたように動かない。立ち去ることもまして部屋に押し入ることもできずにその場に立ち尽くすのに、耳だけは些細な音も聞き逃すまいと澄ましてしまう。
「オヤジ、頼みがある」
「……言ってみろ」
「さっきも言った通り、おれは単身おでん様の仇を取りに行く気はない。それでももし、同心の誰かから助力を乞われたなら、その時はどうか、おれ一人だけをワノ国へ向かわせて欲しい」
ひゅっと息を呑む。それは普段の気の良いイゾウとはかけ離れた、真剣な声音だった。こちらからは見えないが、今のイゾウは白ひげの息子ではなく、出会った頃のおでんの家臣の顔をしているのだろう。多分。絶対。
「……おれに手伝ってくれとは言わねぇのか?」
壁越しでもわかるくらいに張り詰めた空気の中、白ひげが問う。おでんの死を無念に思っているのはお前だけじゃない、望めばいくらでも力を貸す。言外に言われた言葉にイゾウの空気が少しだけ弛む。
「……オヤジが出たら、ウチと百獣海賊団の戦争になっちまうだろ」
「それがどうした」
白ひげの言葉にマルコは内心で深く同意する。家族が目の前で困っているのだ。その原因も船を離れたとはいえ家族のことだ。白ひげ海賊団は家族のためなら何だってする。
「オヤジとカイドウがぶつかり合ったら、ワノ国は更地になっちまうよ。それは流石におでん様も怒るだろ。あの方は破天荒だけど誰にでもやさしいから」
「ぐぅ…」
なだめるような物言いに白ひげが押し黙る。静かな声でそれに、とイゾウは続ける。
「このことは多分、ワノ国の奴で片付けないといけないような気がするんだ。どうしても必要になればオヤジやみんなに助けてもらうだろうけど」
そう告げたイゾウの声は確かに侍のそれで。
それ以上続きを聞いていられずマルコは駆け出す。足音で中に立ち聞きを気付かれてしまっただろうが、気にしていられなかった。
自分では到底手の届かないところで下されようとしている、イゾウの決断がマルコはただただ恐ろしかった。
* * * * *
ネコマムシが本当に誘いたいのは自分ではないのだろう。否、素直な彼のことだからマルコを戦力として求めているのは本心だろう。それでもきっと、マルコのところへ来たのは「あわよくば」という希望があったからだと思っている。
二十年の時を経て決行するカイドウへの討ち入り。そこに並ぶのはきっと自分よりも相応しい者がいる。二人ともその名を口にしないけれど、きっと同じ相手を浮かべている。
マルコを戦力として勧誘する。あわよくば本命の、イゾウの居所を教えてもらう。
ネコマムシの思惑は大方あたっている。マルコは彼らの本命たる、イゾウの居所は把握している。教えるか否か。すべてはマルコの判断ひとつだ。
――同心の誰かが助けを求めた時は行かせてほしい
いつかイゾウが白ひげにしていた嘆願を思い出す。その条件を満たす奴が来た。来てしまった。あの時白ひげが何と返したのか、マルコは知らない。それでもひとつ、わかることがある。
「……ワノ国に行くってんなら、アイツにも声をかけねぇといけないなぁ」
「にゃ?」
首を傾げるネコマムシにとある島の名を教える。
「……イゾウはそこにいるよい」
たとえはじめから答えが決まっていようが、決めるのはイゾウ自身であるべきだ。
破顔したネコマムシを見送りながら、これでよかったのだとマルコは思った。